ポジティブ英語

大切な人の死について。

大切な人の死について。

障害受容×言葉の紹介27

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シホっぴ
シホっぴ
今回は大切な人の死について。

子どもを失ったお母さんを知っているでしょうか。

子どもを失ったときの話をあなたにしてくれた人が今までいたでしょうか。

あなたは、そんな大切な話をどんなふうに聞いたでしょうか。

私はいつも、これが今の私の精一杯の聞き方なのです。

どれだけの想像力をもってしても、子どもを失ってしまう悲しみは分からない。

I can only imagine 想像するしかできない。

けれど、これが今の私の限りなくsincereな寄り添い方なのです、と心の中で思いながら過ごします。

初めての大切な人の死。

初めてのそれは、19歳から20歳になって間もなくの8月でした。

新体操を一緒にしていた中学高校時代の親友を亡くしました。先輩からは双子のようだと言われるほど仲の良かった親友です。

毎年の夏休みには、合宿があって、一緒に上越に行きました。

それでは飽き足らず、お互いの家でお泊り会もよくしていました。ユニークな子で、孤独を好み、19やミスチルを聴いていて好みの俳優は仲村トオル、読書が大好きな子でした。

私とは、アブリルラヴィーンやジャネットジャクソンなんかで一緒に楽しく筋トレと基礎練習なんかをしていました。

あいのりやスマスマや笑う犬の感想を言い合ったり、宇多田ヒカルか倉木麻衣か、とか、グレイかラルクか、とかお互いの趣味嗜好を寝るのもわすれて話したものでした。

シホっぴ
シホっぴ
1998年―2000年感たっぷりですね、笑。

ハリーポッターを休み時間も読んでいるような子でした。私がプッチモニを踊っているのとかは、鼻でわらっていました笑。

まぁそんな私たちでしたが、仲良しだったわけです。すごくくだらないのですが、その子との昔のお手紙がでてきて、そこに書いてあった衝撃的な一文を紹介します。

Are you ready to hear this? lol 

しーちゃんは、英検会場で出会いあった?

です(笑) ねーでしょ、それわ(笑)

英検会場に何を求めていたのでしょうか、笑。

試験会場に良い出会いがあるのではないかと思ってしまう中学2年生、笑。

この手のあれは私たちのお手紙に頻繁に登場し笑、校外学習・文化祭などについての話題のところに、だいたい、出会い、というフレーズが出てきて、なにかがあるかもしれないと思って過ごしていた様子です、あぁ本当に面白い笑。

I cannot help cracking up lol

と、いま爆笑している読者の方いるかと思いますが、そんな大切な人がこの世に希望が持てなくて、19歳で亡くなってしまいました。

自死でした。

洞察力も観察眼も鋭くてcompassionate思いやりのある彼女。

大人になってからも本当はもっと話したかった。

シホっぴ
シホっぴ
特に私の人生にゆりちゃんという子を迎えたこととかね。

友人が亡くなったという連絡は知らない番号から来た。

お通夜の日時が知らされた。

初めて、腰から下の感覚が無になる、という感覚を味わった。

足がスパンと切り落とされたようになり、空がぐるぐると旋回し、色が消えていき、モノクロになり、音が遠のいていき、渦巻き状に景色がぐちゃぐちゃになって、黒になった。

涙があふれて何も見えなくなり、へなへなと座り込むしかなかった。

熱中症か気分が悪いかと思われたと見えて誰かから声がかけられた気がしたが、どんなふうに返したのかもわからない。

しばらくして、ずっと止まってはいられないから、電車に乗って家に帰ることにした。

今度は、透明のシールドの中に自分がいた。

笑いあっている人達の声も渋谷の喧騒も、聞こえなかった。

動画だけの世界になった。

世界中と距離があるような感じがした。見えているけど聞こえない感じだった。

米国出発を控えていた夏のことだった。

当時流行していたヘアエクステをつけに渋谷にきていて、美容院から出てきたところだった。

シホっぴ
シホっぴ
知らない番号からの着信がたくさんあって、折り返して全容を知ったのだった。

新しい世界に飛び出し人間関係に広がりがでてくる18歳19歳は、どれだけ中学高校時代に毎日会っていた親友だって、そんなに毎日会える生活が続くわけではなく、会う頻度は季節ごとになっていた。

何度か会おうとしていた約束が、むこうが体調が悪いだとかでふいになって、そろそろリスケの連絡でもしようかと思っていたところだった。

孤高でミステリアスで魅力のある人とても心を通わせていた一人だった私

何もできなかった。

出てこれないほど悪いなら、行けばよかった。

悔しかった。

友人のお母さんは取り乱して憔悴した。

そのあとに病気をして、頑張れなかった。

友人のお父さんは、一人っ子の娘も奥さんもいなくなって一人になった。

そんなお父さんと、会うようになった。

全然頻繁ではなくて、だいたい2年ごとに。

いや、コロナで前回からはスゴク時間が空いてしまった、ゆりのこともお父さんに言ったりしている。

今のことも話すけど、一緒に昔のことを話したりしていると、心が安らいだ。

それから私の知らない、いろんなことを聞かせてもらったりした。

おかえしに、お父さんのしらないかもしれないその子のこととかを私が話した。

その子はいなくなったのに、思い出はむしろ強化された。

そっとしておくこと、話さないこと、乗り越えたと錯覚して何もなかったみたいに振る舞うこと、とかは助けにならないんじゃないかな、って思うようになった。

お父さんは、いつも話したがった。

私もいつも聞きたがった。

ずっと、今も、そう、ずっとずっとずっと子供は、そこにいるんだ、生活は進んでいくけれども、そりゃ楽しい日もあるけど、undercurrent 奥底にずっと流れ続けている、その子がいないほうの人生をずっと生きていく、そういう感じなんだなって思った。

それで、思い出は増えていかない、という事実に愕然とする。

それに、その子と一緒にいるときにだけ引き出してもらえた自分はもう引き出してもらえないこともさみしい。

なんとかやっています風、なんとかやっている感じにみえるけれど、グリーフにタイムラインなんてない。

乗り越える、とか、時間薬が、とか、そんなんじゃない。ずっと、だと思う。

あの夏、急に、母に支えられて、お通夜に行ったことを思い出した。

駅からずっと泣いたままで歩いていた。お母さんに手をひかれて。

Grief, I’ve learned, is really just love. It’s all about the love you want to give but cannot. All of that unspent love gathers up in the corners of your eyes, the lump in your throat, and in that hollow part of your chest. Grief is just love with no place to go. Jamie Anderson 

グリーフというものの正体は、実は、愛だ。伝えたいのに伝えることができない愛。使い尽くされることのない愛が、瞳の淵に集まって涙になって、注がれることのない愛がのどをつかえさせる。どこにもいくことができない愛、そうそれが、グリーフなんだ。

Grief isn‘t a series of steps to get through or a period of suffering that we must get over. Grief is the expression of loving someone who has died. 

グリーフ(我が子を亡くした悲しみ)は、段階を踏んで乗り越えていくようなものでもないし、乗り越えるべきある一定期間の苦しみの時間、というものでもない。グリーフというのは、亡くしてしまった大切な誰かを今も変わらず今まさに愛しているんだという、愛の表現そのものを指します。

シホっぴ
シホっぴ
2学期が始まります。2020年から女性と若い人の自殺の増加が深刻です。ひとりひとりがゲートキーパー。

自殺のサインを見逃さない 最新の自殺予防策、自殺から脱出した人のメッセージ | NHK健康チャンネル

NICUのときのこと。

NICUにある授乳室はとても特殊です。

産後のお母さんが赤ちゃんと一緒じゃなくて一人で搾乳していたりします。ときどき一緒。

GCUに無事移動できたりすると、飲ませる練習なんかが始まったりするから。

産後のへとへとの体で、こどもの搬送先のNICUに行って、母乳を届ける。

わずか30分の面会のために(多くの人が産院から搬送先のNICUは遠いことがある)遠方から訪れます。

それで、移動と面会をしているうちに、胸がはってしまうから、直接あげられない悲しみに歯を食いしばって、帰り道に備えるために、捨てるために搾乳をする。

(すぐに冷凍できない母乳は破棄になる)よく出る人が看護師さんに褒められている横で、出ない人や痛い人が泣き出しそうになっていたりする。特殊な空間だ。

母体にトラブルのある場合もあるからこれない人もいるのかな、あるいは年齢の近い上の子がいてこれないのかな、たったの30分という短い面会時間だから重ならないだけかもしれないけれど、NICUの面会でわたしは他のご家族とあまり会わなかった。

赤ちゃんの数と釣り合わない感じがして穏やかではない気持ちがした。

赤ちゃんとのbonding心の繋がり、ができないで、足が遠のいているお母さんもいるのかな、とか、望まない妊娠だったのかどうか、とか。

私は毎日心弾ませて赤ちゃんに会いに行きました。家にいる間は、搾乳。

カネソンの母乳バッグに、めいっぱいメッセージを書いて冷凍し、売れっ子popsicle(アイスキャンディー) makerみたいだな、と笑えました、せっせと運びました。

シホっぴ
シホっぴ
ありがたいことに、1人だけ搾乳室で友達ができて、すごく仲良くなった。

ガルガル期(産褥期に母性本能から気性が荒くなること←仔を出産した後、外敵をガルガル威嚇する様子から)という言葉も教えてもらって、いろいろガルガルしちゃうよねっていう、大切な時期を一緒に歩んだ友人です。

産後のメンタルヘルス、障害児をとりまく環境、兄弟児子育て、趣味の話も、なんでも話したくなる、大切な友人です。

そんな彼女のベビーは、すごくがんばったけれど、ずっとゆりちゃんが退院になって通院に切り替わって今度は治療で入院になって、といういろいろな時期を経ている間も、ずっとがんばっていたけれど、天使になりました。

私にぎゅーして、ギャーって泣いたね。私は十分にいい友人だったかなぁ。

そのときのその赤ちゃんに関わっていた看護師さんは、ゆりちゃんの今の訪問看護師さん。大切な命は、ずっとずっとたくさんの人の心の中で、一緒に生きている。

I cannot think of anyone stronger than a mother who has lost her child and still breathes. There is no greater devastation for a parent than the loss of their child. 

Saying I’m sorry for your loss seems so inadequate but I’m not sure what else to say other than Im deeply sorry for your loss.

子どもを亡くすというこれ以上にない非常な惨事を経て、それでもなお、呼吸をして生きていく、生きているお母さんというものよりも、強い人というのは、存在しません。お子さんを亡くされたことお悔み申し上げます、その言葉では不十分で不適切に感じられるほどだけれども、ただ、なんといったらいいか分からないんです、心からお悔やみ申し上げます、以上になんといっていいかわからないです。

To the hearts I called strong before I offered to bear the weight with you. I’m sorry. I forgot momentarily that admiration does not lighten the load, someone to share it with does. I admire your strength always, but please, let me carry this with you. The Soft Word 

一緒に重荷を背負うよって手を差し伸べる前に、あなたのことを強いよ、って呼んじゃったことがあるんだ。その強い心の持ち主のあなたへ。ごめんね。つい一瞬わすれてしまったんだ。あなたを褒めること、賞賛、敬服することって、道を照らさないよね。一緒にその道を手をとって歩くこと、シェアすること、それが道を照らすよね。あなたの強さについて、いつも、尊敬しているよ。でもどうかお願い、一緒にその重荷を運ばせてもらってもいいかな。

シホっぴ
シホっぴ
今回は大切な人の死についてのお話でした。

ではでは。