ポジティブ英語

障害児の母親であるということは、子どもの代弁者である、ということでもある。

障害児の母親であるということは、子どもの代弁者である、ということでもある。

障害受容×言葉の紹介34

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シホっぴ
シホっぴ
今回は、ただただ、見えない壁に行く手を阻まれているように感じるときに力をもらえるような、そんな英語の表現(短い文章を3つと詩を1つ)を紹介していきたいと思います。

私には何ができるだろう。

社会はこの子たちにとって暮らしやすいだろうか。私には何ができるだろう。一つの事象が-時にheart wrenching(悲痛)な事象が-起きたときに、どんな行動をとるべきか。Stakeholders利害関係者それぞれの立場に思いを馳せ、アクションに繋げようと足掻く。

障害児の母親であるということは、子どもの代弁者である、ということでもある。being an advocate誰かの権利を擁護する立場として、十分に行動できているだろうか、胸に問う日々です。

I have never complained about being the mother of a child with a disability. Acceptance came easy. However, the constant fight for services and understanding is far more challenging than should be acceptable.

私は実は障害のある子どもの母親になったことそのものについての文句というものはないのです。ありのままのその子を受け容れることは容易いことでした。しかし、使うことができるサービスや周囲からの理解を得ることについて、常に闘っているという事実については、容認できるといえるべき範囲を大幅に超えていて、チャレンジングだと感じています。日々試されています。

God grant me the serenity to accept the things I cannot change, Courage to change the things I can, and Wisdom to know the difference.

神様は、私に、自分では変えることができないことを受け容れる平静な心と、変えることができることを変える勇気、それから、その違いを見極める知恵をお与えになった。

When you find yourself in the position to help someone, be happy and feel blessed because God is answering that person’s prayer through you. Remember, our purpose on earth is not to get lost in the dark but to be a light to others, so that they may find way through us. Alberto Casing 

人助けをするポジションに自分がいるな、とわかったら、楽しんで行いなさい。その人の願いは、神様が応じてくれます。あなたの行いを通して。この世に生まれた意味は、暗闇の中で迷い子になるためではありません。他の人々が見えるように世の光となることです。わたしたちが照らすことで、人々が道をみつけられるように。

有名な詩。「砂の上の足跡」

私のまわりには、社会課題に気が付いて行動に繋げている人がたくさんいる

どう生きたらいいんだろう。私ならどうする。

ゆりちゃんママになってからというもの、自分ではどうしようもない抱えきれない困難を目の当たりにしては、神の啓示が降りてきますようにと膝をついて、自然と涙を流している日が何度もあった気がします。

いつも、仲間の勇気ある行動力に影響を受けて、ひとりじゃない、と勇気をもらってなんとかやっております。

そういう日に手に取りたいのは、「砂の上の足跡」、という非常に有名な詩です。

こちらを紹介するのがまだだったので今日はこちらを紹介して終わりにしたいと思います。

One night I had a dream…

I dreamed I was walking along the beach with the Lord, and
Across the sky flashed scenes from my life. For each scene I noticed two sets of footprints in the sand; One belonged to me, and the other to the Lord. When the last scene of my life flashed before us, I looked back at the footprints in the sand. 

ある晩、男は夢を見ていた。夢の中で彼は神様と並んで浜辺を歩いていた。そして空の向こうには彼のこれまでの人生が映し出されては消えていった。どの場面でも、砂の上には二人の足跡が残されていた。一つは彼自身のもの、もうひとつは神様のものだった。人生のつい先ほどの場面が目の前から消えていった。そして、砂の上に残された足跡に目をやった。

I noticed that many times along the path of my life, There was only one set of footprints. I also noticed that it happened at the very lowest
and saddest times in my life
This really bothered me, and I questioned the Lord about it.


すると、人生を振り返ると、ひとり分の足跡しか残っていない時期がいくつもあることに気が付いた。しかも、それは、人生の中でも特に辛く悲しいときにばかり起きているのだった。そんなの酷いと思って、神様にこう質問した。

“Lord, you said that once I decided to follow you,
You would walk with me all the way;
But I have noticed that during the
most troublesome times in my life,
There is only one set of footprints.
I don’t understand why in times when I
needed you the most, you should leave me.

「神様、あなたに従って生きると決めたとき、あなたは、ずっと私とともに歩いてくださるとおっしゃられた。しかし、私の人生の最も困難なときには、いつもひとりの足跡しか残っていないではありませんか。私が一番あなたのことを必要としたときに、どうして私を見捨てたのですか。」

The Lord replied, “My precious, precious
child. I love you, and I would never,
never leave you during your times of
trial and suffering.
When you saw only one set of footprints,
It was then that I carried you.”

神様はこう答えた。「私の大切な子よ。愛している。試練と苦しみのなかにあるあなたを見捨てたりはしない。ひとりの足跡しか残されていないのは、その時はわたしがあなたを背負って歩いていたのだ。」

シホっぴ
シホっぴ
さて、いかがだったでしょうか。

信仰に関わらず、人生に疲れ、重荷に押しつぶされそうになっているときに、不思議と慰めになる詩ではないかなと思います。

苦しみの中にあると強い孤独感を感じることと思います。

一人で砂浜を途方に暮れて歩いているように思うかもしれません。

でも、未来の自分がこの苦しみの時を振り返ったとしたら、どんな映像が見えてくるでしょうか。

そうか、もはや、私は一人で歩いてすらいなくておんぶしてくれる人がいたんだな、一番苦しかったその時に。

人生を振り返るときに、(神様、ということでなくても)たくさん人に助けてもらった記録が出てくるのだとしたら、一緒に重荷を背負ってくれている人に恵まれたのだとしたら、幸せだなぁと思います。

もしよかったら
↓こちらもお楽しみください。

ビリーアイリッシュのWhat was I made for?(実写版バービーの主題歌)それから、ビリージョエルのPianoman です。

ではでは。