ポジティブ英語

ケアラーという言葉に出会って、はっとしています。

ケアラーという言葉に出会って、はっとしています。

障害受容×言葉の紹介35

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シホっぴ
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今回は、ケア役割を担う、っていうことについて考えてみました。

ケアラーの定義

私って、どこからどうみても、医療的ケアのある子どもを育てているケアギバー、です。そのはずです。が、しかし、想像以上に自己認識、自覚というのは曖昧なものだな、とつくづく思っています。

つい最近、牧野史子先生の講義を受けていて、ケアラーの定義は、「家族などのケア役割を無償で担っている人」である、と伺いました。

その時、あ!わたしのことでは?と新鮮な気持ちに包まれました。

人の命を守るというロール(役割)unpaid(無償で)で担っているんだ、ということを忘れそうになります。

思わず周りに聞いてしまいました。

私って、ケアラーなのかな?と呟きました。ケアラーです、そう言われました。

そうか。ケアラーという言葉に出会って、はっとしています。

ところで、ドイツでは、ケアを労働として捉えるらしいです。

ドイツの介護保険においては、家族や友人、ボランティア等による介護労働を有償労働および社会保障と結びつけることによって、家族介護社会的に評価しようとするものになっている、ということです。なるほど。

ドイツにおける家族介護の社会的評価 – 島根大学学術情報リポジトリ (shimane-u.ac.jp)

違法性の阻却

もうひとつ言うと、医療的ケア児の家族たちは、医療行為を当たり前のように行っていますよね。これを、「違法性の阻却」といいます。

シホっぴ
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本当は違法行為だけど罪に問わない、という意味です。
  • 医師法等の医療の資格に関する法律は、免許を持たない者が医行為を行うことを禁止しています。(医師法17条:医師でなければ医業をなしてはならない。)
  • そして、たんの吸引及び経管栄養は、原則として医行為(医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ、人体に危害を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある行為)であると整理、されています。

医行為であるから、本来は医師、看護職員のみが実施可能なことを、例外として、家族による(ヘルパー等による)実施を容認されているのです(実質的違法性阻却論)。なるほど。

1-1-3-1.pdf (mhlw.go.jp)

責任ある仕事をして活躍する母親たちも世の中には多くいる一方で、私は社会に貢献できていないのではないか。社会のお荷物になっているのではないか、命を守るという役割をし、そこに充足感を感じながらも、その労働の過酷さに見合わない低い社会的評価をしてきた自分がいます。

でも、他国では、家族看護にあたる家族は、ケア役割を担う人として有償で行っていることもあるのか。

また、そもそも自分が行ってきたことは医療行為だったのか。

例外として認められて行っていたのだ、という事実を知ったのは最近で、よく考えると、なんだか救命救急医のようなシーンも少なからずなので、過酷ではないか

シフトではない夜勤を代わってくれる職員もいない、この仕事は合わないから職種を変える、ということもない、そんな医行為が出来ますだなんて、いつ引き受けたんだろうか。

医療と全く関係なかった人が退院指導をさらっと受けた後、あっさりと医療的ケア児を任されて、医療行為をしている。

一方で、学校や施設に預けようとするときには、膨大な書類の準備と提出が求められ、やすやすとは預かってもらえない。

手技確認という時間が設けられて母親は同席し、児の特徴などを申し送る。はて、もうすこし、人権というものを考えていくべきではないだろうか。

Everyone you meet is fighting a battle you know nothing about. Be kind. Always. 

あなたが出会うすべての人は、それぞれ、あなたが知りもしないような、知り得ないような闘いを闘っているものなんだ。だから、優しく。いつも、やさしく。

医療的ケア児の親がみんなに知っておいてもらえたら嬉しいこと

シホっぴ
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では、ひとつ読んでみましょう。

What parents of medically complex children wish you knew:

医療的ケア児の親がみんなに知っておいてもらえたら嬉しいこと

1.We are not superhuman.

自分たちは、スーパーマンではないです。

We aren’t some different, stronger breed of human. Being in the role of caregiver is just as hard for us as you imagine it might be for you. We didn’t automatically gain knowledge and strength that others don’t have upon being handed this role.

強い血統とか、なにか違う血統だとかそんなわけないです。同じ人間です。ケアギバーの役割をするということは、誰にとっても大変なように、自分たちにもキツイです。この役割を与えられたときに、自動的に瞬時に(他の人たちが持っていない)必要な知識・強さ、それらを得たわけじゃないです。

You could do it, too.

あなたも、おなじことが起きたらできると思います。

So often, we are told, “I don’t know how you do it!” But, the truth is, you could do it, too, for your child if you needed to. When my son was born, all I knew was that I was going to love him and take care of him no matter what. Nearly sixteen years later, that is still exactly what I’m doing. I think that is what most parents are doing.

すごくしょっちゅう、こういわれるんです。どうやってそんなことやれているのか分からないと。でも真実はですね、きっとあなたも自分の子供のためなら必要に迫られればできます。子どもが生まれたとき、わかっていたのはこれだけでした、なにがあってもこの子を愛するし、必要なことをしてあげよう。16年近く経ちますが、まさにそのようなことをしているまでです。それが親というものです。

2.We are tired.

自分たちは疲れています。

We are so, so tired. Not sleepy. Not just fatigued. We are tired way down deep. Completely spent. And sleep can’t fix it, not that we get a good nights sleep often. Our minds, our hearts, our bodies are tired. It won’t stop us, though.

ものすごく疲れています。眠気がある、とかそういうことを言っているのではないです。ただの疲労とも異なります、ものすごく根深い疲れです。消耗しきっているというか。それで、ちょっと睡眠をとれたから、とかでは直らないです。いい睡眠がしょっちゅうとれるような生活ですよ、っていうわけでもないんですけど。考え事が多いし、気持ち面、もちろん肉体的にも疲れています。かといって、それが自分たちが前に進むのをストップするということはないんですけどね。

3.We are lonely.

そして、孤独です。

We don’t get out much. We don’t have visitors often. Friendships and relationships outside of the home can be hard to foster when so much of our lives revolve around caregiving. We are completely and totally responsible for another person’s wellbeing, and that can be time and energy consuming. That doesn’t mean we don’t long for those connections, though. We are thankful for the friends and family who join us in our world from time to time and also for the ones who invite us even if we have to decline most of the time.

孤独です、あんまり外に出られないですからね。あまり来客もないですし。おうちの外での友情、いろいろな人間関係を育む、メンテするのは大変なことがあります。なんといってもケアを中心に生活が回っているので。一人の人の健康状態に関して完全に責任があるというのは、時間もエネルギーも消耗します。繋がりが欲しくない、とかそういう意味ではないです。友人、親族には感謝しています。仕方なく行けないという場合も多いですけど、声かけてもらえる、招待してもらえるっていうのは嬉しいです。

4.Many of us struggle with mental illness.

メンタルがやられてしまう人は少なくないんです。

Trauma, high stress levels, and isolation are just a few contributors to the higher instances of mental illness among caregivers, such as depression, anxiety, and PTSD. It can be exhausting to hear how strong we are when we are struggling to keep it together sometimes.

トラウマ、ストレス値の高い生活、孤独感、これらは、精神疾患の発症に寄与します。抑うつ状態、不安症、PTSDなどです。あなたは強いねなんて声掛けされるのは、時にしんどいです、日々なんとか立ち回ろうと奮闘しているわけですから。

5.We are terrified of your cough.

いま咳したね、ちょっとこわいわ。

Is it allergies? Is it a cold? Is it the flu? We don’t know, but we’re scared it could make our children very sick or worse. We wish family and friends would tell us when they or someone in their house is sick.

その咳は、アレルギーなのかな。風邪かな。インフルじゃないよね。友人家族には、もしお家で病気の人がいるなら、教えてほしいな、と言いたい。

6.There is always something we need to do.

いつも何かやることがあります。

Maybe we need to make a phone call (there is almost always a call to be made), fill out some forms, change a diaper, feed a meal, order supplies, give a bath, or any of the other day to day stuff that often gets pushed aside as we focus on our child. If we are still, chances are there is something that just isn’t getting done in that moment and we know it.

電話をしなくちゃいけない、とか。本当に常にいつも電話かける用事がありますね。用紙を記入する。おむつをかえる。ごはんをあげる。必要物品を頼む。入浴介助。子供の優先を挙げたためにやれなかった普通の日々の諸々のこと。いま動いてないでゆっくりしているなら、そう、何かそのゆっくりしている瞬間に何かやるべきことが一個片付いてないでいる、っていうことは確かです。

7.We worry a lot.

心配事が多いです。

We worry about our child’s health. We worry about them dying. Us dying. Who would take care of them? Finances. Neglecting our own health. Services. Insurance. Medications. Paperwork. Appointments. Waivers. Did I mention we are tired?

子どもの健康、子どもが先に亡くなってしまわないか、自分たちが先に死んじゃわないか、だれが見てくれるの、金銭的なこと、自分自身の健康のこと、使えるサービスのこと。

8.We would do it all over again.

生まれ変わってもまたやりたい

If given the choice, we would choose this life all over again if it meant knowing and loving our child.

こんな人生だけど、生まれ変わったとして、またやるかやらないかどっちを選択しますかと言われたら、そりゃ、やりたいなって思う。この子に出会ってこの子を愛する人生だよね、うん、またやりたい。

シホっぴ
シホっぴ
今日はここまでです。ケア役割を担う、っていうことについて、今回は考えてみました。

社会としては、どんな風にケアラーの人たちに備わっている資源を評価し、どのようにケアラーの人たちの人権を守っていったらいいのだろうか、ということを、関心をもって学んでいきたいなと思っています。

今日は、トレイシーチャップマンのFast Car を付します。

お母さんが出て行ってしまって、アルコール中毒のお父さんの面倒を見なくてはいけなくて、働くことにした。学校は続けられなかった。当時はその単語がないだろうけど、つまりは、ヤングケアラーですね。置かれた環境から抜け出すことを夢見た歌です。めちゃめちゃめちゃめちゃ大好き。

ではでは。