ポジティブ英語

耳が聞こえない両親をもつ、聞こえる子供。

耳が聞こえない両親をもつ、聞こえる子供。

障害受容×映画の紹介

シホっぴ
シホっぴ
今回は、アカデミー賞の最高賞である作品賞を2022年に受賞したCODAについて書きます。

みなさん見ましたでしょうか。

まだの方は、現在アマゾンプライムで見られるようになっているので、ぜひご覧くださいね。この映画、すごく笑えますしね。大好きすぎます。ここ何年で一番、という感想を持つ人多いですね。そう思います。

CODA(コーダ)とは

CODA(コーダ)とは、child of deaf adultsの頭文字をとった言葉で、聞こえない両親をもつ聞こえる子供のことを指します。

私は、

for a more compassionate and kindler world
もっと共感を示しあえて、優しい、そんな世界を実現したい。

そう心から思っています。

障害のある子どもと生活していると、実に様々なfirst hand experience(経験を積むこと)になります。

あくまで一個人の経験、感じたことを話していく形をとりながらも、なにか、普遍的なものに昇華させていきたい、と思っています。

そうした作業を丁寧に行うことで、how we are different (どんなにかあなたと私が違うか、)ということではなくて、むしろ、どんなにかあなたと私は同じであるかhow we are the sameということを描いていきたい、そのように思っています。

I believe in the sharing of stories because I know that all life gets better when you share it. 

とアメリカの有名なオプラショーの番組ホスト、オプラウィンフリーさんが言いました。

個々人の体験談の力を信じてるんです、個人が経験してきたことをシェア、共有することって、間違いなく、どんな人の人生もよくするんですよね。

そう思います。

シホっぴ解説

シホっぴ
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Oscar Winning CODAあらすじ。

港町で漁業で生計を立てている4人家族。

父母兄は聞こえなくて、たった一人聞こえるのは一番年下のルビー。幼いころから家族の耳となって生きてきたルビー。

家族には聞こえないけれど、歌うことが大好き。合唱クラブに入部したルビーの歌の才能に気が付いた顧問の先生は名門大学の受験を勧める。

慣れ親しんだ自己像、気が付いてしまったパッション、家族との共依存と自己実現とのはざまで葛藤する様子は、誰の心にも響く。

「青春の光と影」(Both Sides Now)はシンガー・ソング・ライターのジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell:1943-)のセカンド・アルバム「青春の光と影」(Clouds:1969)に収録された曲です。

この曲を主人公が映画のクライマックスで歌うのですが、涙腺がどうしても崩壊してしまいます。

引用 Oscar Winning CODA I Both Sides Now – Emilia Jones –

I was in tears when she sang Both Sides Now realizing how aptly true and poignant the lyrics were to her own life and relationship to her family. 

この曲をきくと泣いてしまう、歌詞がルビー自身の人生と家族との関係をすごく適切に核心をついているので、胸にくるものがある。

Rows and floes of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I’ve looked at clouds that way

幾重にも流れる天使の髪
空に浮かんでるアイスクリームのお城
どこもかしこも羽の谷
雲をそんな風に見ていた

But now they only block the sun
They rain and snow on everyone
So many things I would have done
But clouds got in my way

今は太陽の光を遮るだけ
雨や雪を降らせる、それが雲
やりたかったことたくさんあるのに
雲が邪魔をした

I’ve looked at clouds from both sides now
From up and down, and still somehow
It’s cloud illusions I recall
I really don’t know clouds at all

雲を両側から見てきた
雲の上からも下からも でもなんだろう
思い出すのは雲の幻影
雲のこと、全然わからない

Moons and Junes, and Ferris wheels
The dizzy dancing way you feel
As every fairy tale comes real
I’ve looked at love that way

月は毎晩昇って、また6月がくる
くるくるまわる観覧車
ちょっとくらくらしちゃうよね
おとぎ話が本当になるみたい
愛をそんな風に見ていた

But now it’s just another show
You leave ‘em laughing when you go
And if you care, don’t let them know
Don’t give yourself away

今はただのショー
みんなをすこし笑わせていなくなっちゃう私
気になっても、決して気づかれないように
自分をさらけ出してはだめ

I’ve looked at love from both sides now
From give and take, and still somehow
It’s love’s illusions I recall
I really don’t know love at all

愛を両側から見てきた
与える側と受け取る側 でもなんだろう
思い出すのは愛の幻影
愛のこと、全然わからない

Tears and fears and feeling proud
To say “I love you” right out loud
Dreams and schemes, and circus crowds
I’ve looked at life that way

涙とこわい気持ち 誇りを感じること
“愛している”とはっきり言うこと
たくさんの夢と計画 サーカスの観客
人生をそんな風に見ていた

But now old friends are acting strange
They shake their heads, they say I’ve changed
Well something’s lost, but something’s gained
In living every day

いままでの友達が妙な態度で
首を振って、わたしに、“変わったね“ と口をそろえる
確かに失ったものもあるけど、得たものもある
日々こうして生きているなかで

I’ve looked at life from both sides now
From win and lose and still somehow
It’s life’s illusions I recall
I really don’t know life
At all

人生を両側から見てきた
勝者と敗者の両方を でもなんだろう
思い出すのは人生の幻影
人生のことなど なにも分かってないよ

I’ve looked at life from both sides now
From up and down and still somehow
It’s life’s illusions I recall
I really don’t know life
At all

人生を両側から見てきた
人生の浮き沈みを でもなんだろうね
人生の幻影を思い浮かべただけで
人生のことなど 何一つわかっていないよ
全然

合唱部に入ることを決めたことが一歩目

自分らしさ(歌うことが好き)に気が付いていたけど、家族と離れたことがなかった。でも思い切って(親友にはダサっと言われたけど)合唱部の門をたたいた。

シホっぴ
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私はこれだけで泣きそうでした。聞こえない家族には理解できないこと、自分が好きなことに振り切ってもいいのか。

せっかく入部した合唱部。みんなと顔合わせの日に逃げ出したこと

幼いころから通訳をするという自己像で生きてきたから、自分の好きなことのためにステップを踏み出すことへのおそれがある。

みんなとは違う、全然ちがうんだ、という自己認識をevery opportunityあらゆる機会に感じている。 

どうしてもレッスンに遅れてしまう

聞こえなくて不便が多い家族のために、朝3時から漁にでているルビー。

聞こえない家族がdemandingである、自分を必要としている、家族は自分にdependent(依存しないと、手を借りないと生活するのが大変)である、聞こえない家族と世界を結ぶのには自分が不可欠であるという責任感。

遅刻を繰り返すルビーを音楽の先生は叱ります。

家族の事情があるからできないだろう、とexclude外すのではなくて、むしろ、ちゃんとやろうよ、遅刻するなよ、って叱ってくれたこと、includeしてくたこと、期待してくれたこと、嬉しかったんじゃないかな。

家族がコンサートにきたとき

聞こえないから、お洋服がどうだ、ルビーは可愛いわ、とか、歌唱そのものと関係ない話をしているお母さん。

手話は見えれば理解できるから、お母さんの興味関心が聞くことではない部分に向いていることも舞台の上からパフォーマンスしながら見える。

伝わっていない。切ない。

自分の好きなこと、家族に伝わるのかなって。ルビーのなんっともいえない表情。一方、お父さんとお兄さんの、一生懸命感じようとしている表情。

お父さん、ルビーの歌が観客の人たちの心を震わせていることに、気が付く。

映画から音が消えて、ルビーの家族が経験している音のない見る世界。観客の目に涙。娘の才能を認識できる瞬間の訪れ。

お母さんが頼ってくる、お母さんが半信半疑

聞こえない世界の人たちとの交流を心のよりどころにして、(聞こえなくても大丈夫な)ビューティー、ファッションへの感度高く生きてきた可愛らしいお母さん。

お母さんは、ルビーがうまれたとき、聞こえない子であればいいな、と思った、と本心を打ち明けます。

聞こえる人との間にいつも感じている隔たり、気後れ。ルビーなしでは、とても不安なお母さん。愛しいルビー。頼りになるルビー。

私への当てつけなのかしら、と、歌を選ぶルビーを信じようとしない。遅くなった子離れ。知らない世界に旅立っていくルビーを応援する。

自分を優先させたその瞬間に

好きな男の子と湖に行くことにして、ある日、解放的に過ごしてみたルビー。

今までそんな日なかったけど、朝3時の漁をさぼってみた。歌と出会ってからのルビー、自分をindulge甘えさせてみた。

そんな日に限って、帰宅すると、自分がいなかったがために、監査が入って、家族の漁が(聞こえる人が同乗していなかったという理由で)この先できなくなってしまったことを知る。

シホっぴ
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このフラストレーション葛藤、it sounds familiar to me私も知らなくはない。

ねぇ、私がケアができなかったら、私の子はどうなっちゃうの、私の代わりはいないの。

医療的ケアのある子どもの吸引をさぼって自分の睡眠を優先させたときに肺炎になってしまった、とか、自分がごはんをあげれば大丈夫だったかもしれないのに、レスパイト施設に泊まらせたら、誤嚥してしまった、とか。

ずっと病室でそばにいてあげたらよかったのに、帰宅したら、悪化したという電話をうける。

責任感から自分を解放した矢先に、無責任を一瞬甘んじたその矢先に、何かワーストケースが起きる。

ルビーは自分の時間を作っていいのでしょうか、それとも、手話ができて弁がたつ、しっかりもののルビーが、これからも家族の耳となり口となり、漁船に朝3時から毎日同乗すればいいのでしょうか。

24/7 365で人をケアすることは、一人ではできません。仕組みを整えて、ケアギバーたちが休める環境を作りましょう。休んでも罪悪感を抱かなくていいように、安心して休めるように整えましょう。】

お父さんとトラックで歌うシーン

あー、もう大好きだ。喉に手を当てて、振動を感じて、わかってくれるお父さん。

シホっぴ
シホっぴ
お父さんが本当にいいんですよね、この映画。

お父さんと見たくなりました。なお、このお父さん役の俳優さんトロイ・コッツアーさんは実際に聴覚に障害があります。

お母さん役もお兄さん役も、です。トロイさんの助演男優賞受賞は、コミュニティにとって快挙で、大変喜ばしいニュースとなりました。

お父さんが最後に、映画中、初めてかな、発話がありました。

ルビーを大学に送り出すときに、声にだして、GOって。

ずっとルビーを頼ってきたけれど、ルビーが自己実現のために家族のもとをはなれる、おうちを出ていく、この時に、手話で話すのではなくて、聞こえる世界のルビーの言葉に合わせて、GOと発話したお父さん。瞬間的に胸が熱くなりました。

お兄ちゃんもいい

お兄ちゃんは、家族のために自分を犠牲にして夢をあきらめようとするルビーを叱るのです。お兄ちゃんは、いつも、妹の才能を信じていたのですよね。

CODAとして育った方たちへの敬意の気持ち

聞こえないあるある、の描き方、切り取り方も、ジョークも、下ネタも、全部書きたいのですが、だいぶ長くなってきてしまいました。

シホっぴ
シホっぴ
優しい目が街にもっと溢れるといいな、と願いながらこれからもこつこつ書いていきたいなと思います。

そして、CODAとして育った方たちへの敬意の気持ちをもちたいですし、日本手話と日本語対応手話の違いや、ASLアメリカ手話について、学んでいきたいなと思っています。

そういえば、アメリカの患者家族会で、

signできる人?

とパネラーの問いかけに、パッと見た印象ですが、4-6割くらいの人の手が上がったのですよね。大変驚きました。

文化的に教育の一環として手話と接する機会が多いのだろうと思うのですが、日本でも、そういった機会がもっとあるといいですね。

寄り添うためには、相手の言語を理解することが大切だと感じています。相手と同じ言語を使うことは、相手に寄り添うことだと思います。

最後はこの言葉で。

One day you will tell your story of how you overcame what you went through and it will be someone else’s survival guide. 

あなたがこの困難をどうやって乗り越えたのか、っていう話しをね、いつか誰かに伝えるじゃない?それってね、その誰かさんにとってのサバイバルガイドになるの。

ではでは。