ポジティブ英語

障害児家族が経験するデュアリティ。双対(そうつい)性。

ゆりちゃんの痛かったことランキング

障害受容×言葉の紹介40

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シホっぴ
シホっぴ
今回は、a particularly difficult medical experience特にこれが”きつかった”・”いたかった”娘の医療・治療に関する経験について書きます。そして、矛盾するようですが、やるせなさ・届かせる先さえ分からない怒りの中で足掻いている日々には、喜び・感謝などの気持ちもco-exist同時に存在しうる、という点を強調したいと思って書いています。最後の英文まで読んでいただけると嬉しいです。

次々に更新される酷い経験の中で・・・

こんにちは。気温が下がってきましたが、体調いかがでしょうか。

↑10℃/しゃろうさんのこちらの曲が似合う季節になってきました。朝の冷たい空気の中で聞くのが合うので、よく聞いています。

今回は、a particularly difficult medical experience 特にこれはきつかったな、という娘の医療・治療に関する経験について書いてみたいと思っています。

痛い思いをさせてしまう経験がいくらでも更新されていくかのように感じていた時期もあります。

どんどん前回を上回るような試練が続いたりすると、一体全体なんていう世界線を生きているんだろうと宙に目をやってしまいます。

梅干しのような顔をして、下がり眉毛で苦悶の表情で、「娘が痛そうで、可愛そうで」、と半泣きになってしまう私。娘の痛みを想像するも自分の無力を痛感する、という、そんなやるせない経験を幾度繰り返してきたのでしょう。

Heart-wrenching realities on a daily basis

こころが砕けるような現実を日々突きつけられていたりするんです。

そうなんだけれども、but because of those trials 試練があるがゆえに、こういったことに耐える日々が何をもたらすかというと、the opposite is more extremely felt その反対の感情(生死に関わるしんどさが喜びを際立たせる、など)をしっかり感じるんです。

True joy is heightened when it’s felt amidst REALLY hard things. 

本当に厳しい中に身を置くと、幸せ・喜びが高まる、際立つことがあります。

シホっぴ
シホっぴ
ゆりちゃんが経験した酷く痛かったことをまずお伝えさせていただきます。そのあとにduality相反する2つの感情―痛くて辛い、喜びや幸せ、相反する気持ちは同時に存在しうること、co-existに関する英文を見ていきます。

しんどいこと、たくさんあるんです。知ってもらいたいです。そうだろうと思った?想像の通りでしょうか。でも、具体的に想像できていたでしょうか。badをお伝えさせてください。

でも、そこだけが独り歩きしてほしくない気持ちがあります。医療的ケア児・重症心身障害児の子育ては辛悲しくて治療ばかりで絶望的で・・だけを伝えたいのではないのです。

喜びや幸せもあるんだ、というところが、抜け落ちてしまっては、正しく全体を捉えられていないと思うからです。

1位:胃ろう交換トラブル

処置室で、病室で、いろいろなタイミングで経験してきた痛かったこと、お伝えしていきます。

まずは、コロナ面会制限下で肺炎での入院が続いた後のことです。おそらく、入院中に入浴機会が少なかったからだろうと思うのですが、胃ろう孔付近硬くなってしまったことがありました。(程度問題ですし、ケアは個別性が高いので一概に言えませんが、入院期間のケアの質あるいは申し送りについて思うところがあります)

トラブルはこれです。退院後の往診(家にお医者さんがくること)での毎月の胃ろう交換時(お腹の皮膚の外側から皮膚の内側、胃壁までを胃ろうのチューブは貫通しているのですが、そのチューブの交換のこと)新しい胃ろうがどうにもこうにも入らなくなってしまいました

セオリーでは、”胃ろう孔はあっという間に(←たった30分で、と聞きました)閉じてしまうので、挿せるものを挿して仮止めをして病院へ搬送せよ”、です。そのように繰り返し聞いていましたが、本当にその緊急事態が起きる日が突然来るとは思いもよりませんでした、あの“仮止めをしてダッシュ“をやる日が来たのです。県立小児医療センターへ到着。外科の先生は腕まくり。緊急対応。

なんと、胃ろう孔をペンチみたいな器具で押し広げているのです。ゆりちゃんは全力で痛いを表現、痛みのあまり、発作もしました。もちろん血がでました。

大人4人が四肢を押さえました。そんなに動かないゆりちゃんだから、そんなに押さえないでいいのに。先生、文字通り、ゆりちゃんに馬乗りになられたんです。大汗かいて、格闘技でした。外科の先生って力もいるんですね。

痛すぎる光景は今も忘れられません。泣きたい、吐きたい、心臓がえぐれるような辛さでした。でも、一番痛いのはゆりちゃんだけ。どうしたらいいのでしょうか。(再手術にならなくてよかったね、なんて言葉を上滑りさせながら、先生方に感謝して、腑抜けになって帰路につくのでした・・・)

2位:肌、5センチ四方、剥がれる

次はコロナ罹患したときのことです。ゆりちゃん、突然の高熱と200をゆうに超える心拍、モニターは鳴り続けました。そう、あの夜、コロナが我が家を襲いました。朝早くに往診を要請、陽性確定していただいた上で、ゆりちゃんは病院に緊急搬送されました。

重症心身障害児がコロナ病棟入院中に起きた点滴漏れスキントラブル

さて、いい血管を探すのが大変・点滴が漏れる、というのは、ゆりちゃん、おなじみなのです。いつも(一体)どこで(どっちの腕の”どの血管で”)とってますー?と聞かれます。ポポちゃん人形のような質感のゆりちゃんのお肌から血管を探しだすのは、そもそも大変です。

コロナ入院時、やっと取れた点滴は、右腕でも左腕でも手首でもなく、左足首の内くるぶしあたりでした。痛そうだけれども、そこになることも、時にあります。

そして、点滴が長くもたない、ということがあります。今回もそうでした。そして、今回は相当酷く漏れてしまいました。点滴が落ちていかない、と思った時には、手遅れも手遅れ。皮膚の内側の血管外にたまった液は皮膚をふやかし、点滴を固定していたはずのシーネと包帯を開けると恐ろしい光景が目に入りました。水分と包帯に挟まれたゆりちゃんの足首の皮膚はべろりと剥がれたのです。皮膚が5センチ四方ほど、火傷状態になってずるりと剥けたのです。重大インシデントです。

さて、コロナ病棟を覚えているでしょうか。ナースコールで患者と体調管理のやりとりをする、など、特殊だったことを覚えているでしょうか。重症心身障害児の親同士、コロナになったら、母子入院できるのだろうか、家で看病する以外ないのではないか、など当時不安に思っていたものでした。吸引が頻回にできない、てんかん発作時にも気が付いてもらえない環境は致命的です。重症心身障害児1人で入院させるリスクは高すぎます。

実は、あの朝、私は救急隊員に救急車に同乗することを拒否されました。数時間遅れて、昼頃”無事に”“陽性が出た”私は、ゆりちゃんと過ごすことを許されました。同室でケアが継続できるなんて運がいいと心底喜びガッツポーズをしました。母子でコロナ陽性だからという理由で、母子の同室が特別に許可され横並びのベッドで過ごしていました。

私は、効かない解熱剤を4時間毎くらいに飲みながら、朦朧として謎の咳をして、こりゃインフルの比じゃないぜと初コロナを経験しながら、友梨の吸引、投薬、注入、おむつ替えなど一連のケアをしていました。

看護師の入室は最低限、という特殊な環境。座薬入れました、エアウェイつけかえました(気管切開手術前)、酸素増やしました、減らしてみます・・・ナースコールでやりとりをしていました。看護師さんは、お母さん、大変な中、いろいろとさせてごめんね、と労ってくれましたし、私も精一杯頑張っていました。

それで、点滴が落ちてない、漏れていると思う、外したい、とナースコール。実際に対応していただけるまで、おそろしいほど時間がかかりました。小児の先生がなかなかコロナのほうにこれないという説明でした。看過できないな、というほどに時間が過ぎていき、再度ナースコールをとりました。医師はこれなくてもどうでもいいから、誰か来てほしいと懇願しました。看護師さんが来てくれました。包帯を開けてみて、真っ赤な肌が出てきました。愕然としました。

シホっぴ
シホっぴ
想像を絶する状態でした。ぼろぼろ泣いてしまいました。看護師さんもおろおろしました。

コロナなんて、どうでもよくなりました。続きの抗生剤は腹立たしいほどあっさりと粉剤に変わりました。うなされながら、怒りながら、スキントラブルシュートに終始する入院に切り替わりました。

信頼する褥瘡ケア看護師さんである訪問看護師さんに個人的に連絡をとって、病棟から提案されたスキンケアの内容を共有し、改善余地があればとご意見を伺い、最善の対処の策を練ってケアしました。アズノール、エスアイエイド、泡と生食での優しい洗い方、洗う頻度、包帯の巻き方、など熱心に教えを乞いました。)

4年たった今では、ほとんど元の肌色と馴染んで、分からなくなりました。当時は、時系列の確認や原因の分析など行われました。腹立たしさは継続しました。

事故が起こらない仕組みにむけて努力すると(小児病棟と同じ基準で点滴の確認する・固定する、など)謝罪とともに受け止められた記憶があります。コロナ病棟の特殊さがありましたね。私にだけ謝る看護師長さんにも怒りがありました。ゆりちゃんにも話しかけてください。痛いのはこの子でしょう。

1と2を書いていたら、辛くなってきてしまいました。3位は、なんでしょうね。

3位:眼科(網膜電位図(ERG)検査)

網膜電位図(ERG)検査というのを、サブリルという(当時)新薬を試していたときに定期的にやっていたのですが、それも辛かった思い出がありますね。

目玉に直で、発光する直径数ミリから1センチ弱のものをのせるんですよね・・・衝撃的な映像なので・・・。

赤ちゃんの時だったし、発作もばんばん起きるわで、なんだかその状況は泣けましたね。

静岡県の“ら眼科”の羅先生、の話を聞きたい人は連絡ください、すべらないです笑)

点滴を固定することが恐怖になった私はそれに懲りて、皮下注射で抗生剤を入れてもらう、ということもして、それまたそれで、今度は皮膚に吸収されないで水泡になるとか、しこりになるとか、そんなこともありましたね。

みんな頑張るんだけど、まぁなんていっても小さな身体ですから、本当に大変です。

まだありそうですが、もういいですね…

以下略ですわ。ほんとうに痛いことたくさんありますわ。

で、です。なんといってもですね、どんな経験のときにも、かならず、upside

物事のいい面)があるんですよね。

シホっぴ
シホっぴ
胃ろうの時は、私の妹が一緒にいてくれたんですよね。冷静にならなくちゃいけなくて、とってもこわくてふるえるときに、妹が一緒にいて、心強かった。

あの時は、妹がゆりちゃんの胃ろうに気遣って抱っこして私が救急まで車を運転したのでした。

(一通り必要なものを持っている・必要なものが多いので、搬送先と合意の上、搬送は自分で、っていう指示になること(救急車じゃないこと)結構あります

自分で救急車もやらないといけないんですよね・・・!いろいろなスキルが試されている・・・!)

あわてそうなときに、妹がいて、妹は観察と判断がとても上手で、共感的で思いやり気遣いがあるので、本当に安心でした。

コロナの搬送のときなんかも、妹が大活躍。陽性が往診の検査で確定して苦しんでいたゆりちゃんと搬送車に乗ってくれたんですよね。

妹はコロナ罹ったすぐあとの時期だったから、私は今無敵だよー、って乗ってくれたんです。

私は検査前だったせいで、救急車に乗るのを拒否されたんですよね、コロナじゃない人は乗せられない、と言われて。

(結局病院に到着して検査したらコロナだったし⇐かなり、そうだろうなと思ってたけど、誰も代わりがいないから、前の晩ゆりちゃんの看病していただけ)

なんだろう、入院前から続く看病の疲れもあった、自分のコロナ罹患の最中でもあった、それでも母子同室で看病をつづけた、そんなときに、事故が起こった。

シホっぴ
シホっぴ
包帯の中で、点滴トラブルが進行しつつあったことに気が付けなかった。ものすごく悔いた。恥じた。

点滴針が大丈夫かどうか、っていうのを見ることも私の仕事だったのだとすれば、そういうことに注意したほうがいいんだって、そこがdownfall 破滅の原因)になりうるんだったら、知りたかった。

包帯を開けて針がちゃんとささっているかそんなことを確認するのも私ならば、こんなコロナ禍で、例外的かもしれないけど、そうならばやるからやれって言ってよ、そんなことまでは分からないよ、素人なのだもの。

ナースコールからでいいから、お母さんにそんなことまでさせちゃいけないなんて遠慮してないで刺さってるか見てって、言ってよ。

刺さっているか毎時間見るのが本当は小児では普通なんだったら、それコロナ病棟でも同じようにやってよ。

やれなそうだったときは母にその仕事やらせてよ教えてよ。知らないもん

シホっぴ
シホっぴ
誰かが、ということではなくて、仕組みがよくないんだな、ってわかることも収穫だと思います。ミスが起きない仕組みを考えることが大切だと思いました。

ゆりちゃんの傷を見た人が、心を寄せてくれた。心のよりどころにしている仲間に、こんなことが起きて苦しい、って言ったら、一緒に怒ったり泣いたりしてくれた

傷を綺麗に治すことに情熱のある看護師さん最善の処置をしようとリモートで教示してくれた。真摯に受け止めてくれた。

3位の眼科に関していえば、確かに乳児の眼の検査の画は堪えるものがあるけれど、羅先生強めのブラックジョークの数々を思い出すだけで(一般的には、offended されます、っていう内容です)むしろ愉快な気持ちになって一生笑えそう。

The most incredible things can happen at the most unexpected time. Trust your journey. 

全く予想していないタイミングで、最も素晴らしいことが起きることがある。だから、あなたの人生の旅路(長旅・道のり)を信じて。

It’s that our lives are both heavier and more beautiful than most realize. Yes, there’s chronic stress, constant appointments, and grief on so many levels, like for the life we thought we’d have. But there are also breathtaking moments of love, tiny victories that feel enormous, and a community unlike any other. We live with a duality that outsiders may not see- deep pain and overwhelming joy can coexist, often within the same day. (@onceuponagene.podcast)

そうね、私たちの生活は、しんどい。

でも同時に、多くの人が思うよりずっと美しいわね。そう、もちろん慢性的にストレスフルだし、常にスケジュールはいっぱい、あらゆるレベルのグリーフもあるの、たとえば、こうなるはずだったのになっていう手に入れなかったほうの人生のロスについて悲嘆している、というのも一つね。

でも、息をのむような瞬間があるわ。息をのむほどの愛、とんでもない勝利、他では見つからないようなコミュニティに出会い属すこと。

外から見ても分からないかもしれないわね。この相反する2面(双対性)と生きている、ということがね。計り知れない痛みと圧倒的な喜びが同時に存在しうる、同じ日にすらしょっちゅう起きうる、そういった部分は、知らない人には見えにくいでしょうね。

Joy walks in hand-in-hand with grief, pain, fear, and struggle, though we may not recognize it’s presence. 

悲しくて、痛くて、怖くて、迷い悩み苦しんでいるときだって、気が付きにくいこともあるけど、幸せが共にあるな、って思います。

それで、結局こう言いたい。幸せなんだよと。

but we are happy. And we are. WE ARE.

ではでは。