障害受容×言葉の紹介23
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今までの人生って、全部、この子に会うための伏線?
今までの人生って、全部、この子に会うための伏線だったのかな。
すべての経験がマージ(融合)し、昇華されていくような感覚。あの年齢のときに出会ったあの子、あの年齢のときに経験したあれやこれや。
全てはこの子に会うための伏線。フラッシュバックのように思い出されるシーン。猛烈に回収している。
あるいは、私が夢見る未来においては、いまのこの悔しさが、歯がゆさが、すべての経験が全部回収されていくはずだ。
そんな風に、障害児を育てているご家族の人って感じることがあるはずかもしれません。私は少なくとも、そうです。
光と闇のコントラスト、鮮やかな色彩、失うかもしれない生命だと思った瞬間に、猛然と輝きだす生命。
穏やかな日々が続いて、少しずつ味わえる前向きな気持ち。なんで神様がこんなことをするのか。よりによって子供を失うかもしれないというほどの苦しみを経験させるなんて。
そんなスクリプトを頼んだ覚えはない。苦しい。私にはできない。夢破れる。
多くの友人から、この言葉を聞いたことがあります、死ぬことばかり考えていた、と。
泣いていた君へ。
私は、楽しいことがあるたびに、泣いていた自分に教えてあげたいなぁ、と思います。
なんとかなっているよって。
中島美嘉さんの、僕が死のう思ったのは、という曲
中島美嘉さんの、僕が死のう思ったのは、という曲があります。
このファーストテイクバージョンだと、中島美嘉さんの表現力が神がかっているので、よかったら聞いてみてください。
私は、23時くらいに連続でこの曲に沼ってしまって、泣きじゃくってしまったことがあり、夜遅く帰宅した夫を驚愕させたことがあります(ぼそっ)。
彼女が難聴を乗り越えて、声を音を取り戻したんだなぁ、特に彼女は不調のときもテレビで歌っておられたなぁと思い出すと、ここまでの道のりは楽ではなかったはずです。とても尊敬します。
とりわけ、好きな部分は、
という歌詞です。
Dear special needs families, You fight to keep the smallest and most fragile alive and well. You deserve recognition for that.
障害のある子どもを育てているご家族へ。最も小さくて最も儚くて弱い子どもの命をalive and well生かしているばかりでなくとてもよいコンディションにしてあげるため、日々闘っている。ご家族は、そのことについて高く評価されるに値します。
出会ってきた人たちのこと
ゆりちゃんのような重度重複障害がある子供たちが生まれたこと、生きていること。
一人一人大切にされているということ。そういったことが叶っているこの世界のことが私も好きになりました。
ところで、当事者ではないのに、ゆりちゃんと接するのがうまい人に出会ったときに、
「なにか(障害のある人と)接してきた経験などあるのですか?」
と聞くことがあるのですが、小学校のときにそういう子がいて、仲良くしていた、とか、そういう話しが出てくることがけっこうあります。
私自身も、ゆりちゃんに出会ったとき、それまでの間に出会ってきた人たちのことが思い出されました。
たっちゃん
男子たちの中でも、グループ決めなどのときは、たっちゃんをどうしようか、と仕切る力のある男の子を中心に、配慮をしていました。
たとえば、サッカーとかで二つに分けるときには、たっちゃんのいるグループのほうをすこし強いメンバーで補ったりしないと互角にならないので、そういう工夫をしていたように思います。
たっちゃんの機嫌が悪すぎて、授業中にみんなで脱走してしまったたっちゃんを追いかけるようなことになってくると、お母さんが呼ばれました。
お母さんは、たびたび、すみませんと教室に頭を下げながら入ってきて、甘えん坊のたっちゃんを抱っこして一日の様子を先生から聞いて帰っていきました。
お母さんと早退していくたっちゃんを覚えています。
いま障害児のお母さんになって思うのは、たっちゃんのお母さんは、地域の公立小学校にいれてあげたこと、嬉しかったんじゃないかな、誇らしかったんじゃないかな。
知的の養護学校(現在では特別支援学校)ではなくて地域で育てるという選択をなさったこと、どんな気持ちだったんだろう、って思っています。
とばちゃん
わたしの一番の親友はいつもやさしくとばちゃんに接していました。とばちゃんが、かるく、こくりとうなずくと、それが、YESうん。で、すこし俯いて首を横に振ると、それがNOいいえ、でした。
私と親友ととばちゃんは、帰り道の方向が一緒だったので、一緒に帰ろうと誘うと、ほとんどいつも、こくりとうなずいてくれて、低学年の頃は特によく一緒に帰っていました。
NOのときの首を振る、といっても、とても遠慮がちです。ぶんぶんイヤイヤを表現するのではありません、角度にして30度分ほどでしょうか。
ある程度一緒にいたら、視線を地面にすっと逸らすがNOで瞬きがYESなので、すぐにわかるようになります。このYESとNOだけで、子供たちは分かり合えていたのですからすごいです。
高学年になったとき、給食委員会からの発表で、全校集会でみんなの前で劇を披露するということがありました。
今月の目標、いっぱい食べて元気になろう、とか、食品ロスゼロ目指そう!とかそういうたぐいのメッセージを伝える劇です。
先生は、とばちゃんにも台詞を与えました。週1回の委員会の時間に練習をすこししただけで、当日まで一回も言えたことがないまま、本番を迎えました。
とばちゃんの番になりました。
やっぱり台詞を言えなくて、沈黙になりました。とばちゃんに直接頼まれたわけではないけれど、たぶん一番親しかった私のことを頼っていました。
私のことを目を見開いて見て、こくりとしました。言っていいよ、と言われたと思いました。
とばちゃんのすぐ次の台詞の人は、自分の台詞のキュー=前の人の台詞が済んだら、をキューにしていて、とばちゃんの台詞が聞こえてこないと、台詞を言ってくれません、おそらく誰がどの台詞を割り当てられたかもわかっていません。
そんなわけで、私がとばちゃんの台詞を(気になって覚えていたので)とっさの判断で言いました。
これが正しい判断だったかどうか、今もわからないし、とばちゃんに会えることがあったら、聞いてみたいです。
全校集会で声を出す機会を見逃して恨まれているかもしれません。
いまはお話ができているといいなと思います。
はなえ
たまたま出席番号が隣で、遠方からの編入生だった私に興味をもってくれて、初日から、たくさん話をしました。
どこからきたの?さいたま、とかから始まって、お互いのことをたくさん話しました。基本的に、筆談で。本当にたくさん話をして、すごく親しくなりました。
朝礼の内容を書いて伝えたり、ホームルームのときのみんながなんで笑ったかとかを書いて伝えたりしていました。その聞こえると聞こえない、の間を繋げる時間はとても充実した時間でした。
今思うと、反省もあって、自分に余裕がない日(テスト前)は、朝の礼拝の話も、書いてあげられなかった。
試験前とかは、勉強したくて。そういうときに、人間の質が出てしまうんだよなぁ、と思いながら。今会えたら、ききたいことがたくさんあります。
アメリカに行っちゃったり、20代も自分のことで忙しくて、連絡先を失念しました。友人をたどって、連絡を取ってみたい1人です。
みんなにも、きっと経験があると思います。何事においても、自分の経験と照らし合わせたりする引き出しが多ければ多いほど、豊かなのではないか、と思います。
兄のクライスメイトだった、兄弟児さんの話
学年の違う私は、そのお兄ちゃんの友人にそもそも兄弟がいたことをこの話を聞くまで知りませんでした。
特別支援学校に行っていたから、私には知りようがないのです。
その障害のある子に、兄弟がいるから、兄弟が小学校の男友達を(ゲームですね、笑)連れてくるから、こうやって、私のお兄ちゃんはその子のことを知っていて、身近に感じていて、それで、いま、こうやって見て知っていることを共有してくれることで私の心を助けている。
そこで私が思うのは、障害のある子供たちに特別支援学校があるのは、それぞれの学び、発達のためには、非常に指導力のある先生方が惜しみなく全力で愛を注いでくれて、とてもいいことだと思うけれど、もっともっと地域の学校生活にpresenceをだしていくのもいいことだろうと思うのです。
Presence=存在すること・存在感
ゆりちゃんのような命がいま(present=現在、という意味もあります)ここにあるということ、それは、present贈り物。
守られた(というととても素敵な響きだけれど、遮断された、ともいえる)コミュニティのなかだけでのpresenceではなくて、みんなのみえるところに行くことは、とても大切なことだと考えています。
きっと普通小学校との交流を重ねる(副籍、支援籍という制度があり、普通小学校のクラスに籍をおいて定期的に授業に参加する仕組みがあります)ことは大切なことの一つです。
子供たちの中には、このときこうやって工夫してうまくいったとか、親切にしたい気持ちが芽生えたとか、医療的ケアがどうなっているのか興味をもったとか、逆に、うまく混ぜてあげられなかったとか、失礼な質問をしてしまったかな、とか、あるいはネガティブな感情の経験ですら、そういったことをそれぞれが経験することが、とても大切なことだと思っています。たくさん心が動くモーメントが起きるはずです。
Nobody thinks less of the penguin because it cannot fly. It’s simply a different kind of bird, Different. Not less. Stuart Duncan
飛べないからって、だれもペンギンが劣っている、なんて考えることはない。単純に、鳥だけど違う種類なんだ、って思うだけ。違うだけ。なにかが足りない、とか、劣ってる、とかじゃないんだ。
もしも、もしも、いずれ、その方が親になって、NICUに通うような事態になったときに、ゆりちゃんと交流した瞬間を思い出すことができるなら、重複重度の肢体不自由の子供が大切にされていたということ、その子供のご両親が、人生で生きていてこの子がきたことが一番の幸せだ、と幸せそうに話していたのを思い出せるならば、きっと、死のうと思わないのです。思ったとしても、きっと大丈夫だと思うのです。
absent(不在、欠けている)ではいけない、障害のある子どもが一定の割合で今までも、これからも生まれるのだから。
映画「チョコレートな人々」
さて、久遠(くおん)さんのチョコレートを知って以来、頼まれてもいないのに、激推し(!)しているのですが(おいしいから)、創業者さんは、映画「チョコレートな人々」の中で、小さいときに、障害のある子をいじめてしまったという経験を回想していて、とても悔いておられました。
そしてそれがきっかけの一つで、現在では、障害種の垣根を超えた障害者雇用のパイオニアです。そして久遠チョコレートはすこぶる美味しい。
インド生まれインド育ちの人たち
(さらに飛躍しますが、笑)インド生まれインド育ちの人たちが、シリコンバレーを席巻、米有力IT企業のCEOがインド人だらけになっているのを知っているでしょうか。
- マイクロソフトはナデラさん2014-、
- グーグルはピチャイさん2015-、
- ツイッターはアグラワルさん2021(でもイーロンマスクによって解任の憂き目に)、
- IBMクリシュナさん2020-、
- 一番最近では、Youtubeモハンさん2023-。
What accounts for their success? なにが成功に寄与しているのか、というと、インドの競争社会で必然的に磨き上げられた英語力・理系などのハードスキルはもとい、カオスを生き抜いてきたことが関係しているといわれているのであります。
The answer may lie in cultural values, upbringing, and struggles.
文化価値観(多民族・多言語・多宗教なので相手と理解しあうまで議論を重ねる)だったり、育ち(創意工夫・問題解決能力が求められる環境)、それから苦境(インフラ不備、政治不安定、身分・貧富の差のある中でthrive生き抜いてきたこと)などにあるのではないか、と言われています。
競争、カオス、多様性の中で生き抜いてきたことと、成功に相関関係があると注目されているわけです。
インド生まれインド育ちの人と同じような経験は希望しても得られない。
戦後間もない頃の(不便さや競争を経験した)団塊の世代の人と同じような経験は得られない。同じレベルのハングリー精神は獲得できないかもしれない。でも、貧しい心の国にならないようにしよう。
障害のある人もない人も、同じ空間で過ごす時間
障害のある人もない人も、同じ空間で過ごす時間を取っていこう。
どんな子なのかな、って積極的に知っていこう。構造的にそのような機会を失わせてしまうsegregation隔離主義の仕組みでは、機会損失が大きい。
将来を担う人がリーダーシップを発揮するためには、想像する力・引き出しがたくさんあるようにしないといけない。
だから、障害のある人を見えない場所にin the corner 追いやってしまうのではなくて、見える場所に。
シホっぴから一言
2022年に観てとっても良かった映画「ラーゲリより愛を込めて」(シベリアにある強制収容所で過酷な生活を強いられる日本人捕虜たちが絶望の毎日を送りながらも愛する人との再会を求めて生きる話)から、こちらの曲を。
なんとか生きて生きてほしい。
あなたに会いたくて生まれてきたんだよ。
明日の予定を立てよう。
今日もがんばってそれぞれが与えられた使命を果たそう。
You are the bus driver. You cannot stop driving.
あなたが(みんなの)バスの運転手。運転は止められない。–
There’s no other option but to keep going. Can’t fall apart when others depend on you.
進むしかなかったのです。みんなが私を頼っているから、ばらばらに壊れてしまうわけにはいかなかったのです。
もう一度。
ではでは。