障害受容×言葉の紹介42
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ゆりちゃんが生まれる前の私。
ゆりちゃんが生まれる前の私にとって、障害のある人やそのご家族は、遠い存在(they、them)でした。
そして、ある日突然に目の前に希少疾患を抱えた我が子が現れました。
子ども病院の待合室などで出会う障害のある子どもたちがだんだんと、Theyではなくなりました。出会いお話をきき理解が深まるにつれて、theyではなくなりました。
Youあなた、目の前のYouに変わっていくのが分かりました。
そして、その子供達に優しいまなざしを注ぐお父さんお母さんたちを見て、あぁ、その1人1人は自分なんだ、と思いました。無我夢中で、出会いを重ねてきました。
そうしていくうちに、街にもそんな遠い存在theyだと思っていた人たちが溢れていることに気が付いきました。目が向きました。
お父さんお母さんに手を引かれているその人たちがyouに変わりました。そのお父さんお母さんたちはus自分なんだと気が付いきました。
Us自分たちのOur私たちの、闘い。
悩みも苦しみも喜びもなんら自分たちと遠くない、むしろ自分と同じ、そう、YouはMe、であることに気が付いたのです。
この子たちが尊重されてしかるべきである、そう強く思うようになっていくにつれて、初めて、自分を大切にする、ということに対するセンシティビティが上がってきました。
この子たちの人権について胸に問い社会に問うときに、あぁ、これは、Us自分たちのOur私たちの、闘いであるのだなと、そう気が付きました。
そんなふうに、パラダイムがシフトしていく瞬間が訪れたことは、私の場合は、ゆりちゃんのおかげですし、多くの人にもそんな瞬間が訪れるといいなって常に思っています。
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あるカフェで。
あるカフェで、英語を話すご夫婦に話しかけられました。
そして、べらぼうに褒められました。
お母さん(私)は笑顔で楽しそうにしている。この子も幸せだろう。
大変な中でも、お出かけをしていてえらいね、勇気をもらった、と。褒められると嬉しいし、誇らしい。
だから、もちろんありがとうと伝えました。好印象を与えたようだ。
そして、そのご夫婦が互いにどちらからともなく、今日電車のホームで見かけた、あのお母さんは大丈夫だったかな、と振り返りました。
子供(3―4歳、障害のあるように見えた、とのこと)を見ることもなく、neglectの状態、放心状態だったと。
子供が線路に落ちるのではないかとひやひやしたと。魂が抜けたような顔をしていたと。
もうjust above the water、on the vergeって感じで・・・と振り返っていた。
水面すれすれにやっと顔が出ている状態、ほとんどおぼれている、そんな風に見えたと。
助けを求める力がなさそうな状態で電車を待っていたと。障害のある子どもをもって、あのように打ちひしがれてしまう人もいる、と。虐待をしかねない、と言うのです。
二人が何を見たのか分からないけれど、すごい形相で目の当たりにした光景を振り返っているのです。それで、私のことを褒めるのです。
その日、体調良くお出かけをしていた充実感があって体力が漲(みなぎ)っていた爽やかな気持ちの私は、自然とこんな話をしていました。
オランダへようこそ、という詩。
まず、ゆりちゃんを授かって一緒に生きている喜びを分かりやすく伝えるために、オランダへようこそ、という詩の話をしました。
私は、まさに、オランダへようこそ、の詩にあるような感じで、大変さがあって確かに最初devastated打ちひしがれた事実はあるんだけれども、チューリップも綺麗だね、風が吹くと風車が回って綺麗だね、(オランダの画家)レンブラントの絵画もいいね、って、(詩の中でたとえられているような人気の観光地イタリアのような華やかな場所には思いがけず行けなかったんだけど)この世界の穏やかに流れる景色と時間、美しさを味わっている、そういう世界線にいるんだって話しました。
なんならね、ベビーカーで静かに寝ている障害の重い娘(傾眠傾向)とのお出かけは健常児とのそれよりも、(体調良好時に限れば)楽でさえあるかもしれない、と言いました。
これはちょっとだけ、方便です。相手に、大変そうに見える私たちはそんな違いがない人間なんですよ、ということを言うことで、ガードをおろしてもらいたくて言っています。
社会資源にたどり着くのもそれなりに大変ながら、なんとかたどり着いていた私は、
I have found a village
自分の所属する村が見つかっている、素敵な村民たち(障害児という繋がりで得た友人・医療関係者のサポート)にも日々支えられている、と。
感謝にあふれ慈愛にみちた障害児のお母さんの話は受け入れがいいようで、英語を話すご夫婦は、前のめりで聞いてくれています。
障害には本当にいろいろとあって、きっと、もっと、とても大変な時間をすごしてるご家族がいるんだ、と。
だから、たとえば、と、「ベイルートへようこそ」という詩を紹介したのでした。よんでみて、と。自閉症児の母の心の叫びが伝わる、痛烈な詩です。
そうすると、そうだ、あのお母さんはきっとベイルートにいたんだ、とご夫婦が言いました。
私がストレス耐性が高いとか上手とか、こっちがいいママであっちはダメなママとか、そんなんじゃない、って伝わったと思いました。
誰だって眠れないならばおかしくなる。いつ流弾が当たるのか分からない世界。
上空からミサイルが落ちてくるのに、自分の首の裏を隠しながら、子供の手をどうやって引けよう。
今日の私は余裕のある私。違う日に会ったら、あのママは私なんだっていうことも言いました。
権利主張をどうしてもしなければいけない場面がある。
娘のために見えない壁を壊そうと紛糾しadvocate(権利の擁護)し、見えない壁に阻まれる。何も変わらない現実に落ち込む日もある。
そんな日のしょげた私をみたらきっと違う印象を与える、と。
あなたがホームをさまよっている虚ろなお母さんに手を差し伸べるのは勇気がいる。あの人はHP(エイチピー、ゲームのキャラクターの生命力やスタミナを表す数値)が下がっている。
助けてというのも、差し伸べられた手を信じるのも大変なんだ。
助けの手が届いているかな、助けを求める力が残っているだろうか、心配だね、って一緒に心を合わせた。
彼女のハンドリングの能力に帰結してほしくないな、と思ったから、ベイルートのこと、言えてよかった。きっと誰も知らない大嵐の中にいる。
彼女自身の荒波を泳ぐ能力、浮き輪を寄越しておくれと注文する能力、彼女のそばには浮き輪があるのかどうか、溺れそうなときは浮き輪がもらえることをしっているのかどうか、荒波が起きないような治水事業は進んでいるのかどうか。
でもお天気なんて変わりやすくて、誰もコントロールしようがないわけで。
How deep is the mud? Depends on who you ask. We all go through the same stuff differently.
泥水の深さはどのくらい?聞く人によって違うね。同じ事象を経験するにしても、それぞれの感じ方は異なるよね。
苦しそうなその人の苦しみは知り得ないけれど、少しだけ親切にしてみよう。浮き輪を投げ入れよう。苦しそうな人とそうでもなさそうな人の差は、そんなに大きくないかもね。
You never know.
大丈夫?今日はしんどい?今しんどい?
みているからトイレいってきな?
買うもの、買えた?子供と散歩してきてあげる(子供と分離する時間を確保してあげる)。ちょっとリフレッシュに(小さなお使い)〇〇に行ってきて(“役に立つ自分”役割を小さく振ってあげる)、子供と遊んで待ってるよ(家の中から出る時間を強制的に作ってあげる)。
どんな声掛けがいいのだろう。どんな風に誰かを支えられるんだろう。
You never truly know the depths of what a person may be going through; what their heart may be grieving, what their body may be carrying, what their soul may be longing for… so stay kind-hearted and open-minded, for some may be weathering the strongest of storms beyond what you are able to see. Taylor Ashley
どんな大変な渦中に今その人がいるのか、決して本当のところを他人が知りうることはないでしょう。あなたの目に見える情報だけが全てではないです。
酷い最大級の嵐の中を必死で切り抜けようとしているかもしれないのですから、常に優しく、決めつけることなく接しなさい。
懐かしの3曲。
↓まいっちゃったなーって、こういうのって、ついてないよね、って、なんて皮肉、って運転しながら歌っている90年代ポップ、アラニス・モリセットのIronicを。
↓どこか、ここではないところ、別の場所に行っちゃえ、脱っせたらな、って、クリーン・バンディッドのRather Beを。
↓大好きなアナ・ケンドリックのcupsです。誰にも気にかけられてないような裏方仕事をしていると感じるときに、私がいなくなったらみんなちょこっと困るかしら、なんて思いながら歌いたくなる1曲です。cups、覚えたら楽しいと思うので、練習してみてくださいね。
ではでは。