ポジティブ英語

渡せなかった手紙。

渡せなかった手紙。

障害受容×言葉の紹介28

☆<障害受容×言葉>の一覧はこちら
https://shihoppi.com/tag/words/

シホっぴ
シホっぴ
今回は、渡せなかった手紙、というタイトルです。

日常的に顔を合わせながらも、どんな事情なのかなぁと思いながらも、こんなことを聞くのは失礼ではないか、野暮ではないか、という思いが働いて、何も会話をすることない、結局何も知らないご近所さん、はいますか。

会社を辞めていった人の“建前ではない”退職理由を十分に時間をとって聞いたことがありますか。

お子さんが大変なんだってね、介護なんだって、大変そうだね。

そうやって去った人“以外”で会話をする、のではなくて、退職の道を進む人に、芯食った質問をして、思う存分話してもらったうえで、それで、明るく送り出す声掛けをしたことはありますか。

看護介護に時間を割くというのは、ごく個人的な、プライベートなこと、なのでしょうか。

会社というセッティングにおいて、好んで語られるべきことではないことなのでしょうか。

家族の看護介護というのは、stigma不名誉や傷、ではないです。

それについて話すことも、tabooタブー、触れてはいけないことではないです。

そもそも、社会から外れてしまったわけではないです。

多くの人が、社会との繋がりが断たれるような気持ちで会社を辞めているかもしれませんが、むしろ社会との本質的な関わりの始まりです。

自助・共助・公助について考えたりとかします。

私としては、ゆりちゃんを通して新しいことを毎日学んでいて、すごくいろいろな経験をさせてもらっているので、

resourceful

(資源resourceがたくさんful=知恵者、機知に富む)で

better person

よりよい人、そんな人になってきた気がしています。

シホっぴ
シホっぴ
困難な状況の中で解決策を見出すことができる能力が高くなる、ということは、いずれ社会に還元されるべきすばらしい能力です。

看護介護をするようになって日陰で生きているような気分になっている人がいるとしたら、言いたい。

社会との本質的な関わりが始まったことは明らか。

どんな夢がある?どんな社会がいい?

今回は、知ってほしいけど言えなかったな、っていう近所にいる顔見知りの人だったり、一緒に働いたことがあるけど結局家の事情を明かすきっかけがなかった人、なんかに宛てる手紙、という想定書いてみました。

渡せなかった手紙

拝啓

いつもあたたかく見守っていただき、ありがとうございます。

優しいまなざしをいただきながら、のびのび子育てをさせていただいております。

朝から〇さんの笑顔をみると元気が出ます。大変感謝しております。

私がゆりちゃんのママであることはもちろんご存じだと思います。

ゆりちゃんは脳性麻痺ということでいいのかな、どんな障害があるのかな、病名はあるのかな、出生時のトラブルなのかな、それとも遺伝子疾患なのかな、なんなのかな、と思っているかもしれません。

直接私に質問していいものだろうかと戸惑うトピックかと思います。

わたしのほうも説明する機会もなくきてしまったことをお許しください。

ゆりちゃんは先天性の神経系の疾患で、その病名はアイカルディ症候群といいます。

非常に珍しい病気で、累計の国内患者数は100名以下の希少難病です。

オンラインで見つけあった20家族と連絡をとりあって、情報交換をしながら支え合っています。(患児は女児のみなので、姫君会と名付けています。)障害者手帳は1種1級、体幹不自由。

知的も身体も最重度の(知的障害と身体障害両方があることを重複障害といいます)重度心身障害児です。

元都知事の舛添さんが厚労省にいたときに難病法というのができていて、ゆりちゃんが誕生する2015年、対象疾患数が拡大しているのですが、その時にゆりちゃんの疾患、アイカルディ症候群も追加されました。

(*原因が不明で治療法が確立していない、長期の療養が必要になるものを難病といいます。私の解釈では疾患対象者が少ないがために、研究費が割かれず、治療薬の開発が遅れてしまうことが懸念されるので、そこにテコ入れをしようというのが難病法です。)

ゆりちゃんの状況は刻刻と変わり、至って複雑なので、日々説明するわけにもいかず(朝と夕の体調が違うことがほとんどです)、

また、日々(朝と夕のあいさつをするだけでしたので)込み入った説明するのには、つい遠慮をしてしまう自分がいて、多くを言えないまま今に至ってしまいました。

でも、今日は、毎日顔を合わせている(いた)のだから、すこしだけゆりちゃんのことを知ってもらえたらとても嬉しいなと思っている次第です。

主訴は、てんかん発作です。

これは毎日あります。一日数回です。

我が子のてんかん発作中の5分間(それより長いものも短いものも)というのは、とても長いです。

それから、脳神経のダメージのせいで(脳が司る)嚥下が苦手で、誤嚥性肺炎や慢性気管支炎などと闘ってきました。

他にも、あらゆる症状、所見があるものの(眼底コロボーマ、側弯ほか)、どれについても、決定的な治療法はないということです。

2019年しゅんくんが1歳になる頃に、県立小児医療センターで、胃ろうをつくっていて、2022年9月に、気管切開といって食道と気道の道を分ける分離手術というものをしています。

と、このように書くとなかなか大変そうなのですが、いつも毎朝会っている穏やかなゆりちゃんがゆりちゃんです。

ゆりちゃんは、ディズニーランドにも沖縄にもハワイにも行ったことがあります。

自分で歩かなくてお話もしないのですが、あちこちに行ったことがあって、いろいろな人がゆりちゃんのことを知っているというのはとてもすごいことで誇らしく思っています。

とってもチャーミングで、家族からも看護師さんたちからも先生たちからもとっても愛されています。

療育園は都内に通っていたので、東京にもお友達がたくさんいます。

また、ゆりちゃん、アイカルディ症候群のお友達の家族が日本中・世界中にいます。

この夏には、米国で開催されたアイカルディ症候群の患者家族会に参加してきました。

ゆりちゃんを育てている期間で何度か、父に勧められる形で、私もそろそろ働けそうかしら、と思い、働き始めた時期がありました。

あまりいい結果に終わらなかったのはご存じのとおりです。

2021年の夏は、実は、ゆりは呼吸苦で入退院を繰り返していました。コロナ禍で一躍話題になった(もう覚えていないと思いますが)ネーザルハイフローという機械を使って肺にたまった二酸化炭素の換気を促した時期もありました。

付き添いの制限があったので、病院には荷物を運ぶばかりで、面会できない日々が続き、心労はありましたが、時間に余裕があったので、仕事を始めました。

会えない日々だったので、なにかすることがあるというのは精神的に助かりました。

しかし、重症心身障害児であるゆりちゃんは、病棟内の看護師さんの目だけでは見切れないことばかりです。

看過できない医療トラブルに巻き込まれることも少なくなくありませんでした。

憂慮する話題に欠くことがない、生きた心地がしない心理状態で、普通の生活を続けるというのは、苦しいことでした。

職場で笑いながら、楽しい話をしながら、病院からの着信があると胸がざわつきました。いつも電話を握りしめていました。

退院後は、新しいケアが増えたり、利用できていた社会資源の利用日数を大幅に制限されたり(治療を重ねたために、耐性菌ができてしまったという、ゆりの症状に起因)、安定して仕事の時間を作ることの難しさを感じていました。

小学校にあがれば、時間があるのかと思いきや、医療的ケア(たんの吸引)があり、かつ、てんかん発作をするゆりは、母親の付き添いが解除されるまでの期間が長く、1年生の間は多くの時間を校内の控室で過ごす毎日でした。

そのことは噂には聞いていましたが、実際その通りでした。

キャリア形成・働き方、というのは常に私の中での悩ましいテーマです。

小間切れ時間しかない、明日の予定もたてにくい毎日、一体何ができるだろう、と泣きながら考えていたこともありました。

介護や子育て、というのは、ごくプライベートなことであるかのように言われることが多い。

だけれども、私は子供を守るために何が必要かを考えること、必要な助けを得るために動くこと、これほどの社会的な活動はないと思っています。

会社にいって仕事をすること、賃金労働だけが社会とのつながり方ではないのではないかと考えています。

私としては、障害児ママになったことで得てきたことについて発信することは、誰にも代替が効かない重要な仕事であると思うようになりました。

ブログでは、ゆりちゃんの日常生活の話というよりも、心を支えてきた言葉や障害理解に役立つコンセプトや社会課題についての私見を書いています。

また、日本語の構造とは異なる英文で読むからこそ味わえる前向きな言葉や考え方を訳することも交えていて、自分らしさを存分に発揮したホームページにしたいなと思っています。

私の置かれた特殊な事情は誰も経験したことがないけれど、どんな人も共感することができたり、共通点を見つけられるといいな、生きにくさを感じる人の気持ちに寄り添えるといいなと思って書いています。

絶好調の時に読んでも、心が挫けているときに読んでも、どんな時に読んでも、前向きな気持ちで満たされるようなそんなブログを書きたいなと思っています。

全力で生きよう

Let’s live the fullest life! 

と思えるような、弾むような語り口で書いていきたいと思っています。

素敵な言葉や音楽を処方箋のように差し込んでいくので、楽しんでもらえると嬉しいです。

この方はしほさんと話してみたらいいんじゃないか、と思うような人がいたら紹介してほしいですし、ゆりちゃんはこの社会資源を活用できるかもな、と思うような事業者さんがいましたら、ぜひつなげてくださると嬉しいです。

お仕事をしている方は顧問先から、先生をなさっているなら生徒さんから、もし、何か打ち明けられることがあったときに、しほさんのブログを読んだら励まされるのかな、と思う方がいらしたら紹介してくださったらうれしいです。

それに、どんな風に言われたら嬉しかったか悲しかったか、などいつでも質問してもらっても嬉しいです。

ちなみに、英語学習者さんからも好評で、英語の勉強になる内容になっていると思うので、よかったらそういう目線でも読んでみてください。

今後英語の学習法だったり、良いコンテンツ等についても言及できたらいいな、と次々アイディアを思いついているので、よろしくお願いします。

ゆりちゃんに関してどんな人がこの建物を出入りしているのかわかってもらえると嬉しかったりもします。

具体的には、月水木金土に、訪問看護師さん、月2回往診(医師)、訪問薬剤師さんが来ていて、それ以外にも医療物品がとどきますし、在宅酸素療法をしているので、メーカーや業者の方の点検もあります。

大きな福祉車両のハイエースが駐車場にとまっているときもあります、送迎してくださっているのは、放課後デイサービスの看護師さんたちです。

また、今後も、救急車に乗る事態や自家用車で病院に行く事態があると思います。

お願い事ばかりで申し訳ありませんが、緊急事態のときにもご理解ご協力お願いします。

有事の際の安全確保のために、本人のためになるのではないかな、というリスク管理の意識からお話しています。

たとえば、考えにくいですが、火事や震災などあったときに、ゆりちゃんは大丈夫かな、とかそういう目線も持っていただけるとちょっと嬉しいです。

ゆりちゃんが住んでいたけど、何も一つも知らなかった、だと悲しいなって思っているのです。

きっとゆりちゃんはすぐに中学生になって高校生になって高校を卒業するのだろうと思います。

なぜなら、すごくいろいろあったけれど、きのう生まれたかのようにおもうけれども、もうすぐ8歳なのです。

高校を卒業したらゆりちゃんの居場所はどこになるのかな、っていうのは、いわゆる「卒後の居場所問題」といわれるもので、引き続き課題の多い分野になります。

そのときにあせりたくなくて、いま、ゆりちゃんってね、っていう話しをさせていただきました。

明日の朝も、にこっとして、おはようと言って、明日の夕に、こんにちは、と、ゆりちゃんおかえり、を言えれば、100点です。

だんだんと日が短くなっていきますが、ご自愛ください。

敬具

ではでは。