生活

旅行記。簡単なことではなかったこと、しかし簡単ではないことも実現可能なこと。

生活×日常風景

シホっぴ
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今回は旅行記です。米国旅行後の自分の描写から始めたいと思います。

Life is not being rich, being popular, being highly educated or being perfect. It is about being real, being humble and being kind. 

人生は、金持ちになることや人気者になることや高度な教育を受けることや完璧になる、ことではなくて、自分らしくなること、謙虚になること、親切になること、だと思う。

簡単ではないことも実現可能なこと。

今回は旅行記です。米国旅行後の自分の描写から始めたいと思います。

簡単なことではなかったこと、しかし簡単ではないことも実現可能なこと、を記録したいと思います。

シホっぴ
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記録すること、には何かしらの意味があると考えています。

きっと、レンガを一つ積むようなこと、すこしの雪かきをするようなこと。一人の力は小さいけれど、丁寧に振り返っていきたいと思います。

私の場合は”書く“ことで、応援してくださったすべての方に溢れ続ける感謝の気持ちを伝えたいと思っています。

ところで、いろいろと苦労した部分と旅行後に残り続ける満足感を振り返っていたら、あれに似ているな、と気が付きました。結婚式です。

猛烈な量の準備があって、面倒くさくて、くじけそうだけど、その瞬間はあっという間だけど、どの瞬間も目に焼き付いている。

人生の棚卸のようでもあるし、新しい繋がりが生まれる場でもあって、あとから振り返るとみんなの幸せな笑顔がいっぱい。

自分で把握しきれない方々にも善意をいただいたし、写真を見せて、と喜んで見たがってくれる人がいる。

大変だったけどやっぱりやってよかったな、幸せな時間だったな、と思えるところが似ているなと。

旅行できたという、ひとつのマイルストーン。

旅行ができて、よかったね、

【ただ旅行しただけでしょ・・・そう、ただ旅行しただけなんだけど】

のビハインドザシーンをここに書いておきたい。

実際の準備のタイムライン(いつ/どのくらい前に、なにしたの、どう何を手配etc.)も旅行の行程(どんなスケジュール)も名場面を写真で振り返るバージョン(見たい♪視覚情報は大きい)も、私のなかに降りてきた感じたこと考えたことも余すことなく伝えたい

そうすれば、きっとまた別の障害のあるお子さんのご家族が旅行をするときに、役に立つし、それに、その旅行を叶えたときに、旅行ができてよかったね、以上のことが言える、想像できるまわりの人が、きっとすこしだけ増えるから。

飛行機に乗った子、海外旅行した子を知っています・聞いたことがあります、とおっしゃる医療関係者の方は多いけれど、もっともっとイメージ必要書類や医療物品の準備に関することなど―がわいていてくれれば、助かる人がいるはず、その気持ちで書いています。

シホっぴ
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良い夏休みにしてあげたいだけ。肢体不自由児との旅行は、身体が大きくなっていくほどに大変になっていく。たぶん。

でも、変わらず旅行できる未来だといいな。しばらく休んでまた旅に出よう。ふらりと出かけよう。いつでも旅の計画を心に持とう。

コロナのあとで、旅行したい気運が高まっていて、そろそろ旅行したい、せっかくなら遠くへ足を伸ばしたい、そういう気持ちは、障害児家族も一緒。

暑くてどうしようもない長い子どもの夏休みを、いい夏休みにしてあげたいんだよね、そんなただのお母さん、なのであります。

May you never forget that when it was hard, and you were overwhelmed, and felt afraid, and walked alone, and felt invisible, and didn’t have the answers, and couldn’t see the way, and wanted to give up… you kept going. Nakeia Homer

忘れないでいよう。きつかったときのこと。キャパをはるかにこえ、怖かった、1人で歩いているように感じたし、誰も私のことなんて見えないみたいだった、答えなんて見つからないし、先が見えなくてどうしたらいいかわからなくて、諦めたかった。でも、あきらめなかった。そんな状況でも、前に進み続けたんだってこと、忘れないでいよう。

シホっぴ
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2つの旅を終えた帰国後の描写から始めます。

まるで、フルマラソンを完走した選手のようだった。

玄関に入るまではしっかりしていた足取りが、玄関から続く廊下の先にベッド(ゴールテープ)が見えたとたん、抵抗できえない疲労感が押し寄せた。

なんとか洗面所(給水所)に手をのばし最低限のことを済ませると、まぶたが閉じていった。うつ伏せがしっくりきて落ち着いた。

連日熱帯夜のうだるような暑さの、そう暑さの吹き溜まりのような日本に帰ってきて、疲労している肉体が正当化justifiedされるというか、だらっとlax(ゆるんだ、弛緩)でいることが適当のように思えて心地よかった。

夢を生きているような気持ちで、うつ伏せで眠ることにした。

成田に到着したのが16時。

まだまだ日が高いなか、夫と息子との再会。まるで弱まらない日差し。車での帰路。買ってくれたスターバックス(よく冷えたラテ)が美味しい。帰国してほんの数時間。

夕飯も食べず、19時には眠りについた。

6日ぶりに会えた4歳の息子は、赤ちゃんごっこと戦いごっこをしたがったものの、目を開けていられない私を見て、アメリカはいま朝なんでしょう、と習いたての“時差“の概念が気に入っているようで、納得して(妙に物分かりが良くなったように思えて、寂しく感じた)、疲労困憊の母を解放してくれた。

ゆりちゃんの夜のケアは夫に完全に任せた。

家族全員で海外旅行しなかったことのメリットを思いがけず実感。旅行後の分業-基本的にはナイトシフトを請け負ってもらえたこと-が可能であることはありがたかった。

シホっぴ
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自分1人で抱えざるを得なかった責任感から解放された安堵感と達成感でいっぱいだった。

電報のように、“ブジキコク”、と、短文を医療者や家族友人に何本か打つと、無事に友梨ちゃんを守り切った自分を誇らしく思いながら、泥のように眠った。

“偉業達成、おめでとう”という返信もあった。

みんな、はらはらして待っていてくれた。私が深く眠った間もゆりちゃんのケアは滞りなく行われ、翌日も翌々日も熱を出さなかった。

それから2週間もたってしまった今も元気に過ごしている。

アメリカには一緒に行かずも、しゅんくんと国内に残って、この無謀な計画を支えてくれた夫に感謝したい

シホっぴ
シホっぴ
unsung hero歌われていない=賛美されていない、無名のヒーロー、陰の功労者、という言葉がぴったりですね!

帰国して2週間が経った。

帰国翌日から予定は詰まっていた。終業式が終わった。体調安定のゆりちゃんは、何一つリスケすることなく、快走している。

そして、夏休みが始まった。

ここからは、私の夏休みの宿題の始まり。

旅のレポートをしていこう。

沖縄旅にインスパイアされて作ったプレイリストを共有します。

https://music.youtube.com/playlist?list=PLtwEaamtGmtWZcJJUzxqe-qBgxwyWlaVW&feature=share

沖縄旅行(7月1日から3日)は大勢の人に囲まれ守られ愛されながらの旅行という相当に幸せな経験をさせていただいた。

もう二度とこのようなことはないでしょうね。

沖縄の空と海と砂浜の青と碧と白に解き放たれてしまった。沖縄にこどもホスピスのようなものを創るという壮大な夢に賛同する感度の高い素敵な方たちが私たち家族の手をとって見たことない景色を見せてくれた。

シホっぴ
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旅のテーマはずばり、OMMT(沖縄めっちゃ満喫旅)。

どんな切り口でもいくらでも書きたいことがある。出逢いへの感謝の気持ち、ありがたいなぁ。満ち足りた気持ち。幸せだなぁ。ゆいまーる。結い。廻る。

相互扶助、労働交換、助け合い。ケアが循環する社会へ。そういう言葉がしっくりきています。うん。ゆりちゃんのおかげさまで、広がった笑顔の輪。

大人が全力で遊ぶこと、大人たちの雰囲気がすごくよくて、幸せだった。元気がチャージされていく大人と安心して遊ぶ子供たち。ただただ眩しい嘘みたいな時間。

私の言葉で沖縄旅を振り返ってみましょう。(言葉が大渋滞しますがおゆるしください笑。)

■Finding the village ビレッジを見つけた

はじめましての集まりなのに、きちんと成り立っていた。

子育てをするのに必要な村ができていた。一人の大人を追い込まない。

一人の大人が安心して子どもを育てるには、このくらいの人数がいるのかもしれない、と思った。一人でケアできるんだ、それが私だ、と思っていた。

もう一人、同じことをできる絶対的に信頼をしている人がいるとすれば、それは夫だった。時間を共に過ごしてきたし、判断がいいの。信頼している。やれてないことを阿吽の呼吸で、こちらが言わずとも判断して勝手にケアができる。ようになった。

だからいつもいつでも私たちは、順番にゆりの主担当になる。もちろん、アウトソースする方法もだいぶこなれて、訪問看護師さんも日常的に入っていただいて、頼りにしている。

シホっぴ
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で、今回の何がすごいって、会ったことない看護師さんたちを上手に頼れた。

家族が普通にやるようにやってくれて、親戚みたいだった。不安がなかった。そうやって人を頼れた自分が好きになった。

看護師さんがやることを毎日やっている自分。そんな自分を解放できた。ゆりちゃん抱っこしてるから、食べなよ。食べる。

ゆりちゃんは海水浴チームが見るから(えーゆりちゃんずるいな、盛り上がっているなぁ、人気者だなぁ)、シュノーケル行ってきなよ。シュノーケルに行ってきます。

ゆりちゃんしゅんくんと遊んで待っているから、ディナーに行っておいで。行ってきます。させてもらえた経験は、なにものにも代えがたい

ゆりちゃんへの接し方はあくまで自然で、幸せな村だった。(入院管理だとよくある)バイタル測りましょう、モニター常に付けましょう、とか言われなくって、顔色と表情で判断してくれて、そう、家族がそうするみたいに接してくれた。

マンゴージュースが美味しくて、注入することにした(マニュアルにない)私の姿にも、(私の判断が主体で信頼してくれる、マニュアルが主体ではない)美味しいねって言ってくれた。

気が付くと、ゆりの髪には、誰かが見つけてくれたハイビスカス。誰かにしょっちゅう手を握られて抱っこされていた。

しょっちゅう抱っこしてくれる宮本先生は本当に見事だった。親族の集まりみたいな気分で、ゆりちゃんどーぞ(笑)医療者が同行する旅行というのは、医療医療?するのかと思っていたが違った。

みんなできるのに知識を振りかざす人はなく、ちゃんと家族らしい家族のバケーションだった。

一体どちらのどの方がどんなプロフェッショナルなのか、聞きたいこともそこそこに、ただただ大人たちが一緒に遊んで、一緒にゆりちゃんと過ごす時間を慈しんで、今を過ごした。

シホっぴ
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Finding the village. 沖縄にまた帰ってきたい村を見つけた。

■Play and Pray カタカナプレイ。遊ぶことと祈ること

宮本先生が教えてくれたカタカナプレイという言葉。とても気に入った。

そう、すべては、遊ぶこと、そして、祈ること。そうだと思う。

神の子たちはみな踊る、という言葉を思い出した。

Play=activity done for fun. そうか、あそぶ、というのは、for funなのだ。

dffun=enjoyment, amusement, or light-hearted pleasure なるほど。うん、心が軽くて踊るようだった。喜びがあった。

そして、ベースに祈りの気持ちが絶対に会った。見えないけれど、絶対にあった。

God has a bigger plan

神様はより大きな計画がある、そういう言葉も感じた。

なにか、大きな力に動かされてこうして遊んでいる感じがした。

■Give and Given

宮本先生の言葉だが、Give and Takeではなくて、受け取る人は、Given、そう言い換えるのはいかが、と提言されている。実にしっくりくる。

テイク、だとテイカーを想起させるので、ちょっとネガティブ(搾取)な感じがするのだが、Givenだと、何か、こう、もっと大きな力、(神様の御手が働いて)祝福されるような気持ちがする。

ボランティアしたほうも、ボランティアしていただいたたほうも、ケアするほうも、ケアをうけるほうも、Giveしているつもりが、Givenで、Givenばかりでありがたいなとおもっている私たちも、きっと何かをGiveしていた。

シホっぴ
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スマップの名曲「らいおんはーと」、には、実はアンサーソングの「エンジェルはーと」という隠れた名曲が存在している。

”あなたに守られているフリをしてあなたを守ってあげたい“

という歌詞を思い出した。ゆりちゃんは、みんなに守られているようで、みんなをたしかに守っていた。ゆりちゃんは究極にGiverだと思っている。

■The way of water 

The way of water has no beginning and no end. The sea is around you and in you. 

映画アバターの言葉の引用なのだが、この言葉も気に入っている。

海に入った。この旅の中で最も大切な時間になった。朝の6時に羽田で集合したのに、その日の昼には、海の中にいた。

その瞬間を共にしてくれたママがいる。Under the sea 海の中は見たことがない世界が広がっていたね。

宮本先生が誰かのためにかなえてあげた夢のことを私は確かに覚えていた。魚をモリでついてみたい。 

シホっぴ
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あぁ。なんて鈍感なんだろう、私は。

海に一緒に入れてよかった。私たちとは違った仕組みで生きている魚たちがそこには生きていて、私たちは海の中でずっとは生きられない。

ほんのすこし見させてもらって、また戻るだけ。きっと地球もそんな感じで、ちょっと地球にきて、また戻るだけ。海の魚は陸を知らない。地球の私は宇宙を知らない。おわりはじまり。

私は、大好きな、canon ball もやれてしっかり頭の先まで塩水に浸せたので、大満足。海が大好きだ。繋がっていると感じられる。自分らしくなれる場所。

シホっぴ
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おさかなちゃん、びっくりさせてごめんね。神聖な海なのに、私ときたら。しゅんくんは、海は、しょっぱい、を知りました。

■夢を叶えてドラえもん

今回この旅を企画してくださった宮本医師は我が家衝撃的なコスチュームで登場したことがある。ドラえもんである。

気になる人は私のインスタへ。

ドラえもんはね、夢を叶えてくれるんだよね。ドアの向こうには、見たい世界が待っていて。どうにもうまくいかないなぁって、ここがこうだったらいいのになぁって、こぼした言葉を拾ってくれるヂロー先生akaドラえもん(as known asをakaと書きます)。

確かに私言いました、家族の写真があんまりないんだよねって

でも、プロカメラマンが終始同行してくれることになっちゃうとか、頼んでませんが、すみません、すごー、ありがとうございました。

いただいたデータには、これは、世界ふしぎ発見ですか、みたいな超絶美しい海写真などなど信じられない美しい瞬間が切り取られていました。

こちらは、ただただ感激するばかりで、えー!どらえもーん、すごーい!とjaw dropping (あごがおちてしまう)な、のびのびたであります。

ボランティアしてくださった人達がこれを覚えているか分からないけれど、二日目のランチした場所に、どこでもドアがあった。

駿が熱心にそれで遊んでいた。(トイレごっこをしていました、トントン、はいってますか?笑、夢ない、笑)

私はね、どこでもドアがあるそのランチした場所、とっても気に入りました。

どこでもドアがあそこにあるなら、埼玉からまたあそこに行けそうでいいじゃないですか。

それで、いろんなタイミングで宮本先生がドラえもんに見えてきたりしていました。更に言うと、宮本先生のそばで過ごさせてもらっているうちに、似ているなと思った人が3人います。

シホっぴ
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それは、ジョンレノン、坂本龍一、宮崎駿です。ビジョンがある。見てみたい未来がある。

■わっしょいピンクというシーサー

わっしょいピンク、と名付けられていたピンク色のかわいらしいシーサーを那覇空港で購入し我が家にお迎えした。

①ピンクはゆりちゃんにぴったりだと思った、②(ゆりちゃんをみんなで)わっしょいしたい、今回は、たっくさん、わっしょいしてもらった、ので、とっても象徴的でいいな、と思ったので購入した。シーサーはもちろん守り神だしね!

亜由未が教えてくれたこと“障害を生きる妹と家族の8800日”という本から引用させていただく。

亜由未ちゃんのお母様の、次の言葉を知ってから、おみこしのように担ぐ、というアイディアがたいそう気に入って、私にとって、大切な言葉になので。

亜由未の支援先はいくらでも、とにかく広くたくさんあるのがいい。

セーフティーネットっていうかね、それが亜由未の生きていく力になるんだから。人とのつながりが命綱だからね。

母は亜由未を「お神輿」のような存在にしたいと言った。「お荷物」ではなく。

重たいけれど、交代しながら大勢の人が担いでいく。肩も痛いし、足も踏まれるけれど、みんな楽しくて担ぎ手に名乗りを上げる。

一人じゃ担ぎ切れなくても、みんなが力を合わせることで動き出す。ずっと担いではいられないからこそ、担ぎ手は多いほどいいのだ。

この言葉を思い出しながら、わっしょいシーサーを見ながらブログを書いています。

シホっぴ
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さて、今回は、抽象に終始してしまったが、引き続き別の切り口で書いていくので、お楽しみに。

ではでは。