生活×日常風景
この質問への答えは、YesとNoです。
Partially部分的にはね、と言ったところでしょうか。
アイカルディ症候群という超珍しい病名
妊娠中に少し変だという指摘は受けたけど、アイカルディ症候群という超珍しい病名が出てきたのは産後。
それも、産後すぐではなくて、(疑われる病名としておそらく医師の中であたりをつけられていたと想像するが)各種症状が出揃ってから確定診断・告知がされている(生後3ヶ月時)。だから、妊娠中にfull で知っていた、とは言えない。
妊娠初期 NT3ミリ
具体的には、妊娠初期の11-13週で確認できる、NT(Nuchal Transslucency胎児の首のうしろの浮腫み)という指標があるのだが、3mmだということ、それは平均よりもちょっとむくんでいるから、先天性疾患の懸念があるということを伝えられている。
当時の私には本当に青天の霹靂、ショックをうけて絵にかいたみたいにしょげた。
診察室に入ったときとは、まったくの別人だった。不安で不安で涙を流した。少し前に妊娠が分かったときはあんなに嬉しそうな人だったのに。
誰から見ても、かわいそうな人だった。一人の体じゃないんだ、風邪を引けないんだ、と嬉々としてつけていたマスク。
上を向いて流れないようにと目玉を見開いてみたけれど、涙は大粒すぎた。悲しくて動けなってしまった。看護師さんが助けてくれた。
あの日、何も考えられず、そのまま実家に車を走らせた。
実家には、母の車がなかった。買い物にでも行った様子だ。
母の車がないのをいいことに、門扉をあけて車を入れると、そのままエンジンを落として茫然としていた。20分くらい。運転席から出られないまま、茫然としている私を見つけた母は、慌てて私を家におしこんだ。流産でもしたと思ったらしい。
いいニュースの時は待ちきれずに母になんでもラインしてしまう私は、診察で貰えるエコー写真をつい母に送信してしまうのが定石だった。
そんな私が連絡せず実家にたどり着いて、何も言わずに無表情で座っている。何か変なことが起きたんだとすぐにわかってくれた。
赤ちゃんは生きています、くらいしか言えなかった。言葉にならなかった。だって、何も分からないから。
しかし、何もわからなかった。怪しかったNTも(浮腫みは周囲に吸収され)正常の範囲に落ち着いていた(*初期の一定期間にしかみれない)。
妊娠適齢期の中央にいた(当時29歳)私は、そもそも妊娠継続以外は考えたことがなかった。
この結果を以てして羊水穿刺に進む・結果によっては堕胎する、という選択をしなかった。ハイリスク妊婦でもなんでもない私は、その先を強く勧められもしなかった。
インターネットに、NT3ミリ、と叩き込めばわかると思うが、大丈夫だったパターンの人の経験談がたくさん載っている。
そう、(障害がある可能性の)指摘をうけたけれど、(指摘されたにも関わらず)“じゃないほう”でした、産んでみたら大丈夫でした、という人の情報がゴロゴロ見つかるのである。そのまま妊娠期間が過ぎていった。
妊娠後期 水たまり
その次に指摘を受けたのは、後期になってから。
もう一度指摘を受けた日は、ドラマを見ているかのようだった。エコーを騒がしく何人もの医師が確認していた。いやな予感は夢ではなかった。
臨月に入る週、夫と車で埼玉医科大学に検査に行った。(切迫早産なので、遠方への移動が懸念されたが、安静指示が外れる期間に入ってすぐ時期を受診日とした。)
頭蓋内のう胞が確認された。なるほど、脳の左右差があって水たまりがある。わかったのはそこまで。
そう、妊娠中に全容なんて、わかるわけない。アイカルディ症候群だなんていう言葉は、まだまだ出てこない。
私は、じゃあ習い事で、剣道はできないんだろうな、って思っていた。それから、ブレイクダンスも無理です、って。
水頭症っていうやつだとすると、シャント手術っていうのをすることになるんだろう、とかね。NICUなんかで働いている看護師さんの友人の一人でもいればよかったが、頭蓋内のう胞が確認されるということの意味だなんて、皆目見当がつかなかった。
初期に受けた指摘のときは、咄嗟に泣いたけれど、後期に指摘を受けたときは、泣く、とかではなかった。
どちらかというと、考え始めていた、この子の未来のことを。どんな生活が始まるんだろうか、と。
だって、しっかりと胎動を感じていたから。毎日赤ちゃんを守るためにコーヒーもお酒も我慢して切迫早産だから早産にならないように大切に過ごしていたから。
この子は、もうまもなく生まれてきて、チャレンジをするんだねって、尊敬の気持ちをもっていた。
でも、今振り返ると可笑しいくらいに、私の知識は乏しく、乏しいというか、限りなくゼロだった。読んであげたい絵本を集めていた。
妊娠中に指摘を受けた人ってどのくらいいるのでしょうか?
さて、妊娠中にちょっとした指摘を受けた人ってどのくらいいるでしょうか。
- ちょっと大きいみたいだ。
- 小さいみたいだ。
- ちょっと羊水が多いみたいだ。
- ちょっと胎盤の位置が低いみたいだ。
- ちょっとおかあさんは体重が増えすぎている。何食べたんだ。
- 妊娠高血圧だ。
- 切迫早産だ。
- まだまだ出てきてはいけない。安静だ。
- 歩くな。座るのもだめだ、横になれ。
- 上の子は抱っこするな。
- 逆子だ。体操だ。逆子がなおった。
- また逆子だ。体力がないと生めない、歩け。
- ・・・いまから緊急帝王切開をし、ま、す。
- ・・・えっ?!バースプランは・・・?!
そう、こんな感じで、なんにも言われない妊婦なんていなくて、いろんなことを毎回言われて、その次の2週間なり4週間なりの行動指針を決めて過ごします。
つわりっていうものは聞いていたよりも長期間だし、何をしようにも、ねむい、あつい、重い。
つわりが終われば、あちこち痛い。蹴られて痛い。恥骨も痛い。腰も痛い。今トイレに行ったのに、またトイレに行きたい。
妊娠生活・出産・産後のストーリーは誰のものをとっても特別。いくつもの選択を不確定要素がありまくりの中、限られた情報の中、赤ちゃんのことを想いながら選び取っていく。
切迫早産だった、っていうと、「なんで切迫早産っていわれたのに、シロッカー法かマクドナルド法で結ばなかったの?」っていう質問をする人はあんまりいません。
程度問題で、そのような措置をとらないほうが過半だとなんとなく知れているからです。「安静にして張り止め飲んでいたよー」っていうと、なるほどね!(納得)って感じの会話になると思います。
障害のある子どもが生まれてくるのが分かっているのに、なんで腰椎穿刺して確定診断して堕胎を選ぼうとおもわなかったの?って、言われてしまうと、なんで切迫早産って指摘されたのに糸で結ばなかったの?くらい飛躍していることを言われている気持ちになります。
妊娠中にたしかに指摘されたのだけど、たしかに29歳健康だと、まぁ3ミリだとそこまで厚みではないといえるし検査しないでいいね、みたいになるよね!って感じです。
指摘をされた段階では、もちろん重要な指摘なのだけれど、他の数多ある妊娠中に伝えられる指摘およびリスクの数々と並列というか、その時その時でそれなりに考えて、(堕胎可能期間とか腰椎穿刺のリスクなども冷静に確認しながら)妥当だと思われる決断をしてきています。
障害児のお母さんになって大切にしてきたこと。
私は、障害児のお母さんになって大切にしてきたことがあります。
小さいうちにできるだけ人に会う、外に出ることです。
わぁ、可愛い赤ちゃんですね、と、お母さんになったあなたに、みんなが寄り添いやすい時期に、心を開いてくれているその時期に、できるだけ早く告白をすることがきっと、きっと自分を助けるだろうと直観的に思っていました。
〇〇ちゃんについて聞いてもいい?と、出生時のトラブルなのか、先天性のことなのか、後天的なことなのか、病名があるのかないのか、遺伝子検査にまわしてもらっているかどうか、症例がどのくらいあるのか。患者会はあるのか。このへんは障害児ファミリー同士でも、割と聞き合います。
(そして障害と一口でいっても、本当にいろいろあるので、まったく知らないことを毎度いろいろと知ることになります。)
みえるところにいること、自分の話をすること、それが何故すばらしいことなのでしょうか。
私が経験したことを知っている人が増えるということは、何の意味があるのでしょうか。その人にとって、私みたいな人と接したことがあるという経験値が+1増えるということは、どういうことでしょうか。
ゆりちゃん、っていう子がいてね、珍しい病気と闘っているんだって。
しほっていう友人の子供なんだけどね、って私の友人が(私の知らないところで)この経験を誰かに話してくれるなら、(どうしてこの話題になったのかは知らないけれど)誰かにとっては希望なんだと思うのです。
7歳になったみたい、なんとか助けを得ながら前向けて生きれているみたい、家族は、ゆりちゃんがいて毎日とても幸せだと言っている。
友人や職場の人が、子供が生まれたけど、NICUにいるんだーという話しを、もしも、あなたにしてくれたとしたら、かわいそうだな、不幸なことが起きたんだな、と思うのではなくて、ゆりちゃんちの話を思い出してほしい。
戸惑いながら妊娠継続したのかもしれない、指摘されたけど、そんなことないないって言い聞かせながら産んだのかもしれない、診断された時期には相当疲弊しただろう、いまも不安だろう。
でもNICUからGCUにうつれた日!だとか、家に初めて帰れた日!だとか、そういうときの嬉しかった気持ちも想像してあげてほしい。
いろいろな気持ちを疑似体験済みであれば、きっと、より優しい言葉が自然と紡ぎだせて、その人に寄り添えるのです。
想像力は、知ることから、だと思っている。
たとえば、帝王切開で赤ちゃんを産んだ人がこの世に数人しかいない時代だったとして、通常分娩した人の声の方が大きかったとします。
通常分娩の人が、帝王切開の人に向かって、おなか切って産むなんて楽でよかったね、経腟分娩は大変だったよ、と言ったとしたらどうでしょうか。
帝王切開で産んだ人はお腹が凄く痛いのに、あたかも母として経験すべきものを経験しなかったかのような言われ方をしたら、それがマジョリティの考え方だったらどうでしょうか。
今では、安全な出産が必要だと判断されれば、帝王切開で産むのは当たり前で、帝王切開で産む人に、easy way楽な方、と思うのはおかしいよね、っていう考え方が浸透してきていると思います。
ぶっちゃけ、めっちゃ、むしろよりハードだよ、っていうのがよく知られてきています。帝王切開で産む人が増えて、その人たちの声が聞こえるようになってきたからです。
下から産んでなんぼ、とかは、outdated古いです。
障害児のお母さんになる、がどんなふうに始まったのかをN=1私一人分の経験だけれど、書いてみました。
妊娠中に知っていたの?っていう質問をされたときに、知っていて産んでいるとも、全く知らなくて産んでいるともいえないな、その間だな、と思って書いてみました。
Dear赤ちゃん、剣道とブレイクダンスはさせてあげられないの、ごめんね、文化部でもいい?
妊娠中の私の想像力の限界は、そんなものでした。何も知識を持たずに、ゆりちゃんママも、ゆりちゃんと一緒に誕生しました。
Always believe that something wonderful is going to happen, even with all the ups and downs. Never take a day for granted. Smile. Cherish the little things. Remember to hug the ones you love.
なにか素晴らしいことが起きるじゃないかなっていつも思って生きるのがイイと思う。良い時も、悪い時も、そう信じられるといいと思う。どんな日も当たり前だとは思わないで。笑顔で。小さなことに喜びを見つけて。大好きな人を抱きしめることを忘れないで。
Sometimes when I need a miracle I look into the eyes of my child with special needs and realize I’ve already created one. A Very Special Needs Resource
あぁ、奇跡が起きないかなぁ、ミラクルが必要だ!なんて思うときがあるんですけど、そんなときは、障害のある自分の子供の目をのぞき込むんです、それで、あ、もう奇跡起きているじゃんって、気がつきます、もう(奇跡の子を)私産んだんだったわって。
Sometimes you have to let go of the picture of what you thought life would be like and learn to find joy in the story you are living.
ときに、こんな人生になるかなって思い描いたものを手放さなければならない。そして、いま生きているほうのストーリーのなかに喜びを見出さなければならないんだ。
ではでは。