障害受容×言葉の紹介31
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個人ブロガー・医療的ケア児ママ、シホっぴ
障害受容×英語ウェブメディアと名付けたホームページを開設して1年の個人ブロガー・医療的ケア児ママ、シホっぴ、です。
(自己紹介をする場面なんかが最近続くので、これ、いまの自分のアイデンティティとしてしっくりきているので、本日は、こんな自己紹介ではじめてみました、笑。)
去る2023年9月2日、当ブログ不動の人気記事『障害のある子どもを育てることが結婚生活に与える影響について』をベースに、お話させていただく機会をいただきました。
主に看護師さん、それから、重症心身障害児子育て中の先を歩んでいる先輩方にご参加いただきました。
そのときにお話ししたことをもとに、本記事を作ってみましたので、お楽しみください。
(結婚記事、続編の位置づけになります。)
私たちは理想的な夫婦ですよー、なんていうことを言う気は全くない・そういう回ではない旨をまずお伝えし、それから、ハチャメチャではありますが、笑
次の直撃質問を自分で自分にして答えてみる、というスタートにしてみました。(みんな正直、知りたいんじゃないかなって思って、こんな質問で“掴み”にいってしまいました。)
A.ありますよ、あります。離婚する理由、しない理由、ダーッと書き出した経験、ありますよ。これはモラハラにちがいないー!産後セックス再開する兆しなし!?これは離婚事由に該当しているー!性格の不一致だー!(えっ、こっちが恐妻ですか、汗?!むこうの言い分もありますね、はい笑)誰にも見せたことのない勢いで、夫にケンカを吹っかけてた時期、あります。ものすごいキーワードを検索窓に叩き込んでいますし、まったくもって真剣なトーンで、厳しいのではないでしょうかと言ったこともあります。
えっ、まさか、離婚だなんて!1ミリも考えたことなさそうに見える!
っていうか、しほちゃんって、怒ることあるのー???
って言ってくれる人がいるんですけど、
えっ、逆に言います。そんな人っているのでしょうか?
Let’s be real.
疲労困憊だ、ストレスが多い、自分の時間は二度とないのだろうか、この役割分担はフェアなのか、こんなはずじゃなかった。
親という役割にとまどい、育児負担に辟易し、余裕がなくて相手のフロー(欠点)ばかり際立って見える、それはそうです、ギブアップしたくなります。普通です。
可愛い子どもたちを見て、検索窓に叩き込んだキーワード(子連れ離婚、養育費、とかですね!)を消去して、頭を冷やして、仲良く暮らしておるわけですが、その時、何に・誰に助けられたか?というと、先を歩む人の知識、知見、アドバイスに助けられました。
この気持ちすら、外在化させること、このあたりのリアルをお伝えすることは有用であるという思いで「ブロガー シホっぴ」のアイデンティティ、ペルソナを活用すると、なぜか話しやすいことに気が付いて、発信しています。
ちなみに、この話題は、ママ友とランチの席で言うには重すぎる・深刻すぎる・相手も手の内を明かさなければならないプレッシャーを与えるテーマだと思っているので、普通は旦那さんにイラっとした話、くらいはすることがあるかもしれませんが深刻さを避けます。
ママ友さんとは、〇〇ちゃんちパパのいいところ、例えば、DYIできていいねとか、面倒見がよくていいね、とか、お出かけたくさんしてくれていいね!とか、
イクメン文化は、かなり浸透してイクメンなんていう言葉もいらなくなってきている昨今の子育て家族同士、お互い褒め合っていることの方が多いです。
結婚に伴う葛藤や悩ましさを赤裸々に話してくれている超有名人
さて、結婚に伴う葛藤や悩ましさを赤裸々に話してくれている超有名人がいます。
元ファーストレディのミシェル・オバマさん(元大統領夫人)です。
おしどり夫婦として知られる結婚して30年になるオバマ夫妻ですが、ミシェルは、こう言います。
子供たちが小さかったときの約10年間、バラークに耐えられなかった、と。
There have been times when she wanted to push Barack out of the window.
バラークを窓から押し出したいなー、って思ったこと、何回もありますよ、と。
ミシェルさんの著書The light We Carry日本語訳も出ていますが、こちらは、この数年の経済不安・コロナ・差別などと向き合う中でどうやって希望をみつけたらいいだろうと思っている人に向けて書いた本で、ミシェルさんは自身のtoolbox(お道具箱)を見せるから、(私の工具=アドバイスを)使ってね、っておっしゃっています。
ミシェルさんは、young adult若い人達に対して、長期間にわたる婚姻生活を続けるということに関して、アドバイスできる大人があまりにも少ない、アドバイスが出回っていない、と言います。
Are you seeking a wedding or do you want a relationship?
結婚式がしたかったの?関係性を築きたかったの?これら二つは大きく違います。
“You have to be prepared to have long stretches of discomfort. And by long I mean it lasts for years.”
快適とは言い難い、実に愉快ではないような期間、それも長期にわたる時期がくる、ということは自明なんです、心の準備をしておいてね、と言います。
“We have to understand that marriage is never 50/50. Somebody was always giving way more. There were times when I felt I was 70% in and he was doing 30% and I had to compromise. ”
(家事・育児など結婚生活をまわすための犠牲が)50/50ということはないの、どちらかがいつも、犠牲になる、それをまず前提として理解してね。私が70請け負っていて、むこうが30とかね。どちらかが(この不公平感で割を食っているほう)我が家の場合は私でしたが、折れなければならない。
I think it’s important for us to not to glamorize what a relationship feels like because then young people quit too soon. They quit before they’ve really played out the full scenario.
長期間婚姻生活を続けている人たちが、若い人たちのためにできることがあるとすると、それは、結婚生活を現実以上に美化して伝えたりしない、ということです。
コーティングされた結婚、結婚というものはいいものだ、のようにしか若い人に伝えていないと、(ハネムーン期がおわったとき)ちょっと違うんじゃないかな、と思って、踏ん張れない。
ミシェルさんは、夫のキャリアを優先させるために分が悪いほうをのんで、自分のキャリアの優先順位を下げて、家庭に入っていた時期のことだとか、
ホワイトハウスでの制限のある生活でどのように自分たちを守る=家族のお楽しみも大切にする工夫をしてきたか(護衛さんetc.が付いて回る生活の中での自己主張の仕方・平静の保ち方)、それがパンデミックでの生活にどう生かされたか、などを語ってくれています。
ミシェルさんはホワイトハウスに住むという特殊な状況を生き延びた経験がパンデミックでの生活を助けた、とその不自由さの共通点を描いていました。
ミシェルオバマ大統領夫人のインタビュー
ちなみにトピック(結婚)とそれますが、医療的ケアのある子どもとの制限のある生活を既にしていた人って、コロナに突入したときに既視感があったのではないでしょうか。
家の中で(入院先であれば病室で、学校待機であれば待機室で)できることを考える、お家上手のエキスパートだったりします。
“限られた情報”の中でワクチンを打つか打たないかみんなが悩んでいたときも、これも経験済み。
障害児生活でいうと、結果が約束されていない侵襲性のある手術や副作用やリスクがある治療をするかしないかその“判断”をする、ことで不確実性と折り合う、ということと最も向き合ってきた人たちだったりします。
そんな経験値が積み上げられていましたから、コロナ突入時、みんなが右往左往しているのを、なんとなく知っているような気持ちで、どっしり構えていた気もしています。
で、はい、戻しますと、そんなミシェルさんの結婚についてのアドバイス、とても響くので大好きです。
子どもが生活に加わる、というのは、それまで2人で築き上げた生活スタイルに変化が訪れますから、あらゆることが変わって大変です。
あの時はもう無理かと思ったよ、とか子供連れて実家に帰ったよ、とか、クライシスを振り返る先輩の姿が思い浮かぶ人もいるのではないでしょうか。そういう時期です。
まして障害児が生活に加わってくると、どうでしょうか。
はい、大変です。やはり医療的ケア児独特に大変な部分というのがあって、大きな影響もあるので、そのあたりについてお話させていただきました。
過去記事はこちら⇒障害のある子どもを育てることが結婚生活に与える影響について。
https://shihoppi.com/influence-of-marriage/
対話会での質問内容
今回の対話会では、事前にいただいた質問に答えさせていただきました。
①たくさんの壁があったのではないかと思いますが、その時々大事にしていたことを教えて頂けたら嬉しいです。
これにこたえるには、この3つの例を出しました。
- 初期:障害受容のスピードの差について思うこと
⇒早いがいい、遅いが悪いとかではない。 - 初期:緊急搬送のタイミングの判断でケンカする時は
⇒緊急時対応すり合わせのチャンス - 在宅移行後:手技の能力差の広がり=役割分担(固定化)の不公平感の増幅とどう向き合うか
⇒指導機会
相手が追いつけるチャンスを与える、こっちが油断する、隙を見せる、だらしなくすることで、相手が歩き出すのを狙っていく、笑)
【初期:障害受容のスピードが違う。数か月で歩き出す妻と数年かかる夫】
初期の私は、落ち込んでいる夫に対して、ゆりちゃんは十分にすばらしいじゃないか、と、主張していたんですよね。
夫に自分の考え、ゆりちゃんのけなげな頑張りを見て、踏ん張れないのか、と考えを押し付けていた気がします。
She is enough
十分ですよね、
She is perfect
完璧ですよ、と。
それは自分に言い聞かせている部分もあったのかもしれません。
気持ちに蓋をして、奮い立たせている状態。
たとえば、患者会などに新しく入ってきたばかりのお母さんが、この子のことはもう受け入れた、お母さんにしてくれてありがとう、がんばるぞ、って意気込んでいる人っていらっしゃるのですが、これ初期の私ですね、と思います。
前向きに向き合えている状態。
これを、まわりの医療者は、受け入れ切った、と勘違いしないであげること、大事かなと思いますね。
夫が悲しみの底にいるから、妻が受け入れたつもりになって空元気で夫を支える役割を担っている、担わざるを得ない状況なんだ、というふうに、見てほしいかもですね。
障害受容は波のような感じ。
大波小波があって。何度も足元をすくわれる。ふと油断したら波に飲まれます。
思いがけない場面で。あのお母さんは元気で障害を受容するのが早い、のではなくて、相対的に、子供のための情報を集めて環境を整えてあげるのは自分だと判断して動いている、自分の気持ちがどうだとか、自分に優しくだなんてそんな余地はない、動き出さないといけないから動いている。
なぜなら、夫がまだ時間がかかりそうだから。
元気そうに重荷を運んでいる人も助けが必要で、大丈夫そうに見える=助けがいらない、ではない。
そのことは十分に周知したほうがいいと思います。
逆に、普通がよかったです、と、しっかり沈んでいる人、これは私の夫がそうでしたが、わたしは悲しい、という、自分の気持ちを優先できている人。
ずれがない人がいます。パートナーが精力的に調べ事をしてくれていたりして精神的に甘えることができている状況だと思っています。
旗振りしているほうのパートナーが、相手に弱音をはけるようになって(足並みがそろって)からが始まりかもしれないです。
子供に障害あるというのはストレスに違いない。感じちゃいけない気持ちというのはない。いろんなペースがある。
こうだ、という一つのタイムラインはない。支援者には、そのことは忘れないでもらいたいですね。受け入れた人・まだの人、という夫婦間のロールすら、逆転している日もあるかもしれない。どちらかが歩めていればいいのかな、と思っています。
思い描いていたものが崩れてしまっていることにふと気が付いて、心が乱れてもう動き出せない日、そんな日がきたときに、ずっと止まっていたほうのパートナーが自分がリードする番だ、と、歩きだす。
そんな感じで相互に支えるものなのかなと思ってます。
【初期: 緊急搬送のタイミングの判断でケンカ】
ママが病院連れて行かなくちゃだめかも、ってあたふたしているときに、パパって、えー大丈夫でしょ、とかいうんですよね汗、っていう話について書きます。
手足が冷えている、網目状だ、こんなにチアノーゼが出ていたら高熱が出るに違いない、と。Spo2が90ない、HR高い。
なのに、過去に救急に行って帰された経験などをもってきて、今回も連れて行っても意味なく終わるんじゃん?明日でいいんじゃん?とか言っているパパさんっているわけです。
一緒に真剣に考えてもらえない。母性、とかで片付けたくないのですが、40週お腹で育ててきて母性全開の妻vs父になったばかりの夫、で、“特に”、”初期は“ズレがあったりする、と経験的に思っています。
(ちなみに、先天性障害vs後天性障害と夫婦関係については、分けて一考する必要があるんじゃなかな、と思っています。)
- 相手の判断力を信用できてない。
- 相手の判断を疑っている。
- 救急にかかる経験値が浅い。
ことが原因でズレが起きている。
でも、例えば、連れて行って正解だったね、やっぱりあの初動大事だったね、となったときには、子供の安全確保、という共通の目的を達成したのだから、感謝を示す、褒める、をしよう。
- 夫⇒妻「判断合っていたね、素晴らしい、さすがです」
- 妻⇒夫「仕事の後で大変な中、本当は寝たいのに、冷静な運転ありがとう」
医療者側からできること:判断の正しさ、を評価する。
緊急のときのバイタルサインの目安などをパパママ両方と確認する。
夜間病院に行くというのは、夫が、駐車場見つけに行ったりして運転手係で終わる、ってことがあると思うんだけど、妻にあえて外してもらってもいいかも(一人で聞いた方が責任感が増すので)、ぜひ夫への説明時間を作って、知識の確認をする、底上げしてあげる、とかも大事かなと思う。
妻の(正しい判断をしなくてはいけないという)プレッシャーを減らすことになる、一緒に判断する相手がいるのは大切なこと、妻のメンタルヘルスにダイレクトに寄与する。
日勤帯から夜勤帯に交換になる時間にいくと、申し送り引継ぎに時間がかかったり、たくさん待ったりするんだよなー、とか、夫婦で、病院あるある、みたいなことを対等に話せるようになって、病院にたくさんいくライフスタイルのコツがつかめてくると、とてもいい感じ。
心配で不安で長い夜、たくさん経験してきました。付き添いを交代でしたり、お互いの体調を気遣いながら、看護師さんを頼れる日は頼って、自分たちを大切にする時間ももちながら、がんばろう!
【中期:夫ができるケアとできないケアが顕著になる、手技を学ぼうとしない】
普通の吸引と注入は覚えたけれど・・・
- 食形態の工夫とか、いい塩梅に再調理、とかができない・難しい。
- ダイアップを入れるタイミングが分からない。挿肛できない。
- 浣腸かけるのもやらない。
- 経鼻栄養の交換はやらない(週1系のもの)
- 気管切開のカニューレの交換はやらない(月1系のもの)
- やらない一定のケアがある、やらないと、どんどんできなくなる。
- できないからやらない。
- 何回聞くよりも、実技を重ねたほうがいいのだけれど、その機会がない。
週1や月1など低頻度のケアは、提案だけれども、看護師さんは、夫が家にうろちょろしていたら、目の前でやらせる。そんで褒める。それがいいと思います。
夫は、
「あの看護師さん、俺にやらせてくるんだけど、そっちの仕事じゃないの?」
とか笑いながらも、出来るようになる・褒められる、と、ものすごく嬉しそうだったりしました。
訪問看護さんの中には、その時間家族を休ませるんだ、といって家族に何もさせないことを美徳とする看護師さんもいるかもだけど、こっちにやらせて、手技の確認してアドバイスしてくれるのも、“とっても”いいことだと思っています。
なんでもやってあげることって、相手のポテンシャルを有効利用しないで、相手を無力化するすらあるのではないか、と思っています。
もちろん、誰がやってもいいけどねっていう状況であればそれでいいのですが、もし、できるなら、ママのためを考えるなら、主ではないケアをする可能性のあるご家族を見つけたなら、相手の実力を確認する機会をどんどんつくって(お子さんのパパさん、おじいちゃん・おばあちゃん)、ケアできる人を増やしてあげよう。
以前は、小一時間頂戴、っていって、何もかもゆりちゃんの状態を整えて、いまからなら大丈夫っていう時間をおぜん立てしてから、パパに子供を預けて離れていました。
何も起きないと思うからごめんねーと言いながら。
でも、あるときからは、
- いまから発作するかもな、
- いまからご飯だよ、
- いまから体調おちる可能性がなきにしもあらずです、
っていうときに、不完全な状態でパパにお願いしてみるようになりました(意図的に)。
そうすると、必ず出先の私に電話がくる。動画がくる。
いまこういう状態なのだけど、どうしたらいいか。
それでこちらは待ってましたとばかりに聞く、胃残は?バイタルは?とかね。
そうすると、どこにありますか、とか、測れません、とかなる。
そっか、どこにあるでしょう?
とか、バイタルとれない?接続かな?電池かな?
などなど。しまいには、往診に自分で電話してみて、など。次第に、できることが増えていきました。
ポテンシャルを信じる、任せる。これって大事なことだなぁと思っています。
なお、自分以外の人ができるようになるとなんとなく専属特許を奪われたような気分になり、自分の存在意義が脅かされる・崩れる・侵される・さみしい、そういう気持ちというのも、感じて大丈夫な気持ちだと思います。
これは、言語化されている人があまり多くない感情だと思うのですが、子供のケアをするプライマリーは自分であるという自負、与えられた意義のある役割、新しいアイデンティティ、これをあっさり(自分にしかできないと思っていたのに)他の人もできてしまったときに、私は自分って何だろうってなりました!(複雑ですね、あははは)
ですが!数年にわたってケアを続けてきた結果としていえるのは、多くの人がその役割を代われる状態をつくるべき。実戦形式で能力を上げてもらいましょう。
いろいろな視点が入る方が本人にとってきっといい。
いろいろな乖離がありました。
【乖離①】
- 私:普通じゃない⇒尊い!小さな幸せ見つけやすい!
- 夫:普通じゃない⇒普通がよかった!
【乖離②】
- 私:障害児コミュニティ=情報がもらえる場所、希望がもてる場所、予測して備えたい
- 夫:障害児コミュニティ=つらい、絶望、普通に生活できれば・・・、何も考えられない
【乖離③】
- 私:話しかけられる=ありがたい、お伝えする機会
- 夫:話しかけられる=話しかけられたくない、恥ずかしい、不憫に思われている
などなど、考え方感じ方はそれぞれ違っていたなぁと回想しています。
夫は、ゆりちゃんのおかげでいろいろな方と深い繋がりをもてていることを心から感謝している、とても数奇な経験が続いているが非常に幸せである、私が前向きで助かる、という旨を言っていました。
余談1:
ゆりちゃんはよく肺炎になったものですが、肺炎の治療、入院治療を拒否するひとって少ないと思います。お願いします、ってだいたいなる。
でも、自閉症や発達障害の子を、療育に行かせるかどうか、となったときに、おや?と違和感を感じてすぐ早期介入がいいのか、それとも、もうすこし様子を見たほうがいいのか、夫婦で意見が割れることがあると思います。
私自身の健康状態とゆりちゃんの医療重度の状況に相関関係を見る人がいないからです。
ただ、発達障害の子ども(わかりにくい場合)だとどうでしょうか。
お母さんのしつけの問題なのかな、静かにさせられないのはしつけがどうなっているのかな、お話が遅いのは一生懸命話しかけてないのかしら、など思う人もいる可能性が高まるわけです。
わかりにくいから。それを街の人からも夫からも浴びた日には、本当に母親のストレスたるや、ものすごい。障害特性ごとにみていかないといけないなと思っています。
余談2:
- どっちでもいいケンカ
- ゆりちゃんのためのけんか
- 夫婦でケンカしてるけど、言っていること一緒っていうタイプのケンカ笑
ゆりちゃん、突発的な音でてんかん発作をするのですね。
カーテンをシャッとひく、とか、くしゃみをする、こういう日常生活音が発作のきっかけになってしまう。
発作をしたらかわいそうだな、って思っていますから、お互いに、突発音ポリスになるわけです。
相手が大きな音を出すもう一人が怒る。
これですけど、これ、いいケンカです。
私が発作のきっかけつくっちゃったとき怒っている夫、夫が発作のきっかけつくっちゃったとき怒ってる私。
これ、互角じゃないと起きないケンカです。同レベルであることは喜ばしい。
Q.児童相談所や病院、関わる機関の職員には、どのような姿勢や対応を望みますか。
A.めまぐるしく変わりゆく悩み困りごとを正確に拾い上げるのは大変かと思いますが、多角的な視線をもって、寄り添っていただけるとありがたいです。
前回相談した内容が未解決・永久不滅のように思い込んでいる人がいる。あれをなんとかしてほしい。
ある日相談したときは相当に悩んでいたことがあって、その次の時はそんなことはとっくに解決して悩んでない、っていうことがあるんですよね。
けっこうその3ヶ月前だとかに聞き取りしたメモをもとに、同じところからスタートしてくる人がいるんで、それは注意してほしいかもです。
・お母さん、眠れなくて大変ですねぇ、(不憫ですねのまなざし)って冒頭で言われたことがある。ぽかん、としてしまった。どんなメモやねん、睡眠は日々違うやろ、3ヶ月間寝てない人だと思っとるんか!眠れない日が続けば、どっかでまとめて眠っとります。
・パパや祖父母にイライラしています系の悩みも然りで、一回ぼやいたからといって永久不滅ではない、人と人だから日々エネルギーは変わる。パパにも祖父母にもイライラしているかもしれないし、それをボヤいたかもしれないけれど、それの根本原因は、別のところにあるかもしれないし。
特に子供の支援の場合は、常にさまざまな要因で子供自身の体調・発達は変化していくし、それに伴い親の悩みも変化してくものなんだ、という意識で聞き取りをすることが大切だと思う。
まず、疲弊している母親の心理としては、何もかも、フェアじゃない!って思っていることが多いと思います。自分だけ恵まれていない、助けてくれ、って多かれ少なかれ思っている。
- 寝れないという悩み
- 夫婦の役割分担についての悩み(割合への不満)
- 自分は仕事に戻れるのかという悩み(自信がない)
- その為にいろいろ手配するために、自分だけが動いている感じがして疲弊
- 何も変わらなかったみたいに普通に夫も祖父母も仕事を続けていることへの怒り
そこで、嬉しかった質問を列挙してみます
ママ 寝れてる?
寝れてない⇒寝れなくてお薬飲んでる人もいるからねー、と言う。
メンタルヘルスを気遣うことは当然で普通で、精神的に負荷のかかることをしているという事実を認めてあげる。
実際にカウンセリングや精神科などにかかっている・かかることを検討しているケースでは、この人にはこの話までしても安全なんだと分かってもらえる、ここを突っ込める人が少なすぎると思う
リフレッシュする時間はとれてるの?
へぇ、運動とかするんだね、いいねぇ!など健康的な習慣をほめる。
へぇ、〇〇にはまっているんだね!
簡単に動画見れて便利になったよねーなど趣味(推し)の話でもりあがる=病気のことばっかりの生活じゃなくて、生活を楽しむことは大切だということを言葉にしていくことも大切。
どうなの、最近は、パパは帰り遅い?
遅い⇒へぇ、ワンオペでがんばっているんだね!
お風呂とか入る時間とれているの?手伝い必要?必要があったら、時間増やしたりできるからね。
なんだろうなー、居宅介護とか移動支援とか活用してくのもいいかもね!
相談員さんとは連絡とってる?←考えていなかったリソースの提示ありがたい
下の子は元気?
元気すぎて悩んでいることや、元気の範疇なのか発達グレーなのか悩ましい、という話しが引き出せる⇒ちょっと気になる子が集まれるイベントがあるけど行ってみる?←のような、新しいコミュニティへのお誘い、などもありがたい。
相談員さんが地域の行事や集まりなどにアンテナをはっている人だと分かると安心するし信頼感が増す。
イベントへつなぐことで出会いがうまれ、自分でサバイブする術がひとつでもふたつでもふえていく。
下の子は延長保育とか預かり保育とかあるんだっけ?土曜保育とかは活用できてるの?
その曜日は、習い事をさせていて、とか、その日は祖母に助けてもらっていて、という話しが聞きだせる
⇒お母さん、下の子のためにもそんなこともしてあげているんだ、えらいねぇ!
おばあちゃんが協力的で、すばらしいねぇ!おばあちゃんは、どこまで医療のことできるの?
へぇ、やっぱこわいよね、できないんだね、そしたら下の子を見てくれるだけでもありがたいね=共感をしめす、
じゃあ訪問看護さんに吸引のやり方を祖父母に教えてもらう時間作ってもらうのもいいかもね!←祖父母の巻き込み方の提案
・使い始めた訪問看護ステーションはいい感じに使えてる?
へぇ、やっぱり評判いいんだねぇ、じゃ新しい子にも教えてあげよう、そのステーションはまだゆとりあるのかなぁ?←相談先なのに、そちらにもメリットがある話をすることができた、と思うと、ケアをもらってばかりでなくて、還元するものがある、と分かると嬉しい。
人のお荷物になるばかりではなくて役に立てる自分、を引き出せてもらえると、自己肯定感が上がります。多職種連携・地域のこと全般に興味がある人だと分かると安心します。)のようなかんじで、十分に最近の状況を聞き取りし、信頼関係が築けたうえで、
・あのとき(3か月前の聞き取り時)はああいっていたけど[夫にイライラした話]最近はどうなの?って、きく
(⇒あぁ、あの3ヶ月前の悩みは、これこれこういうことになって解決しました、その節はありがとうございました、気にかけてもらえてうれしい、ありがとう、あの時は思い詰めていたけど今は違うし、夫は協力的になりました[改善の報告]となる。
いきなり、数か月前のボヤキを既成事実[=夫婦不仲]のように決め込んで会話を始めない。
必要な社会資源が活用できていないで困っている、という解決すべき困りごとが別にあるかもしれない、これをこの人に言って何になるんだ(不憫に思われただけ、言って損したという気持ち)、と不信感を抱かせない。具体的な困りごとが1つでも解決していくことのほうが嬉しい。
相談しやすいな、上手だなって思う人はだいたい最後に、すっごく簡単な小さな課題をくれます。
- 〇〇に電話して問い合わせてみてくれる?
- 次の相談日のときでいいから、どうなったか教えて。
- その前に電話くれてもいいよ。
- 今度〇〇に空きがあるか聞いてみるね。
- その結果を連絡させてもらっていい?
ちなみに、何かあったらまた相談してくださいね、と常套句のように言われると、追い払われたと感じる、何かがあるまで何も解決する気がない人に思える、と言っていた友人がいました。
何かがある前に現状把握、ニーズのききとりをして、提案していくっていうのは、とても難しい作業だなと思いますが、そもそも何かあったら、では遅いですし、何かあったから相談したんだけど、解答を持ち合わせていない・良い解答が得られない場合は意を決して相談しに行ったのに何も解決されない不満足感が残ります。
プライバシーの問題や中立とかいろいろあると思いますが、情報にたどりつきたくて、相談にきているので、知っていることを(相手のプライバシーは守ったうえではありますが)存分に教えてほしいですし、必要あれば、人と人とのマッチングもありがたいです。
どれだけ苦労してひとつひとつの情報を見つけているかというイメージを持ってほしいです。
Q.しほさんとても素敵だなぁ、かわいいなぁ、って思っています。その可愛らしさのひけつ教えてほしいです。
A.これ誰ですか笑。笑わせようと思っているんですかね笑。
こういうときには、英語で、
You are so cute. No, YOU are cute.
とかね、あとは、
I’m flattered.
とかですね、そういう返しが素敵ですね。
うれしい、あなたこそ、あなたが素敵です!ということですね。誰でしょうか笑
Thank you for making my day
私の一日をいい一日にしてくれてありがとう。
Thank you for reading my novel
(小説を読んでくれてありがとう笑)←長く書いちゃったからこの記事を小説と呼ぶアメリカンジョークを言ってみました。
アル中、暴力、もちろんそんな男からは逃げ出して!ミシェル・オバマさんがいっていました。
でも普通の範疇のケンカだったら、早まることはない、って言ってました。
誰と暮らしたって子育て子供が小さいうちは、いろいろある。
ひとつ詩を紹介しますね。
NO MATTER WHAT HAPPENS, SEE YOU AT HOME.
おかえりとただいま。何があろうと、おうちへ帰ろう。
Many people think that living as a couple is always peachy, but this is the real reality…
多くの人は、カップルとして暮らすということは、すてきなこと、そんな風に考えるでしょうか。現実はそうもいきません。
Living with the person you love is not what everyone thinks it is. You don’t wake up early in the morning for breakfast together in bed every morning. It’s not snuggling in bed together until you sleep peacefully every night. It’s not always having the house clean and food freshly made every day.
好きで一緒になった人と一緒に暮らす、ということは、思うよりも大変なんです。毎朝一緒に起きて朝ごはんをベッドで食べて、毎晩眠りにつくまで、くっついて眠って、家はいつも綺麗に整っていて、美味しいお料理を毎日自炊・・・がいつもだ、なんていう家はどこにもないわけです。
Living with the person you love is arguing for simple things, like who forgot to take out the trash, it’s sleeping because the day has been hard and you’re exhausted, it’s arguing over financial issues, it’s someone who takes your bed sheets away when you sleep and you wake up in the cold.
人と暮らすということは、小さなことを議論しあうことだったりします。どっちがゴミを出すかとか、自分はしんどい日を送って疲労しているから眠りたいんだとか、家計の管理だとか、一緒に寝ている間にお布団とられたから私にはお布団が全然かかってなくて、起きたら寒かった、とか。そんな口論もするのがリアルです。
But despite everything, every day you expect to see that person eagerly or go home everyday to meet that same person you know loves you and cares about you. You laugh together the moment you do something funny, it’s intimacy with each other, it’s cooking dinner together as you talk and making it easier because you both had a complicated day.
でも、いろいろあるにせよ、毎日、その人と過ごしている。自分のことを愛していて気にかけてくれているその人が待っているおうちに帰る。おもしろいことがあったら一緒に笑うし、情はあるし、いろんな話をしながら夕飯を一緒に作ったりして、それぞれの大変な一日をねぎらったりする。
It’s living an emotional crisis and having someone who sits next to you, hugs you and tells you that everything will be fine and you believe it.
It’s loving that same person even when it drives you freaking crazy and pulls you out of your box.
難局を乗り越えて、それでもあなたの隣に座っているその人が、ハグをしてくれて、すべては大丈夫だよと言ってくれる。あなたがそうだねと同意して、大丈夫だと信じる。気が狂いそうになる日もあるし、相手の考え方(自分の考えと異なる)に寄せるのに発想の転換をしないといけないこともあるし。
Living with the person you love is arguing for silly things constantly, but it’s also having a love that many people spend their lives looking for. It’s the times that people try to break you up, but the love was stronger. It’s not perfect and it’s very difficult to keep it balanced every day, but it’s wonderful and the best you can experience, because if it were easy it wouldn’t be worth it.
そう、愛している人と暮らすということは、しょうもない口論をコンスタントにすることだったりする。でも、同時に、多くの人が追い求めた(好きな人と一緒になる)ことでもあるんだ。もうこれでおしまいか、もう終わりにしようか、耐えられないと思う時があろうとも、愛が打ち克って一緒にいる。完璧なんかじゃない、毎日なんとか帳尻を合わせて進んでいくことそのものがもう大変だ。でも、これって、きっと素晴らしくて最高なことなんだよね。だって、もしすごく簡単だったら、つまらないでしょ。
That’s why every day you think…”NO MATTER WHAT HAPPENS SEE YOU AT HOME.”
いろいろあるけど、そんなのは至極当然。いろいろあれども、おうちに帰ろう。おかえりとただいま。
そして、私を支えてくれた名言連発してくれる友人からの金言を言って締めたいと思います。
隣に立ってる木だと思え
by 一回り上の税理士の友人
同じ風に吹かれて、同じ日差しに揺られて、いろんな季節を隣ですごす木(笑)
ではでは。