しゅんくんが生まれた時のこと
ゆりちゃんに障害があることは辛かったけれど、もっとつらかったことがあります。
しゅんくんが生まれた時のことです。
しゅんくんは、計画無痛分娩で産んでいます。
ゆりちゃんのときに自然分娩は経験できたし、本当に痛かったし(初産婦のときは経験してみたい気持ちが勝って自然を選択しています)、なにより、産後の回復が早い方が、ゆりちゃんのケアに早く戻れるだろうということで、身体への負担を優先し、無痛分娩で産んでいます。
新しい命をこの世に生み出すという大仕事に集中
産後にどんなトラブルがあるか分からないから預けなさい、と寛容なレスパイト先のありがたいお言葉に甘え、ゆりちゃんをレスパイト先に完全に預けて出産にのぞむことができていました。
ゆりちゃんと長く離れたことがなかったので会えなくてさみしいけれども、周りの人たちのおかげで、ケアする日常から解放されて、代わりに、新しい命をこの世に生み出すという大仕事に集中していました。
わたしは、ゆりちゃん想いの、頼りになる、医療や福祉と生まれたときから自然と触れながら豊かな人格形成をしていくことになる兄弟児くんがうまれるんだ、そして、アイカルディ症候群の家族会の年上の兄弟児さんたちと触れ合いながら障害について知識を深めていき、いつかは学校でそんなスピーチをしたり、将来の職業選択はどうなるんだろう・・・どんな子になるのか大変楽しみである、と、想定シナリオを思い描いていました。
兄弟児さん(障害児の兄弟をいいます)として、どのようなことに悩み生きていくのか、というのは無論私にとっての一大関心事で、障害のある兄弟姉妹と分け隔てないたくさんの愛情を注ごう、重度障害のあるゆりちゃんは既に無条件で愛されているわけだから、次の子供には、むしろ、もっともっと愛情を注ごう、すくすくと育ってくれることを願うばかりである・・・と考えていました。
想定外のことが起きました
しかし、想定外のことが起きました。
第一子のときにそうであったように、困惑、理解するまでの時間がすこしかかり、そして、聞こえてきました。2回目のガラガラガラガラ・・・
何かが崩れていく音を聞きました。既視感がありました。そして、1回目よりも2回目のほうが、より精神を蝕みました。
まだ分娩台の上でした。
夫が深刻そうにこう言いました
なんか、耳が小さい、と。
私は、本当にどうしようもないことを心配している(と思って疑わず)夫に呆れました。新生児の耳が小さいと嘆くなんて、何を言っているのでしょうか?
すべてのパーツが小さいのが新生児でしょう。
なんて悲観的なんだろう、と2人目を産み終えて自信のついた肝っ玉母ちゃんは、夫の言わんとすることがすぐには分かりませんでした。
本当だって、と言っていたのですが、意味がわかりませんでした。
時間差で医師に告げられたこと
―小耳症です。
―2つ問題があります。
―見た目の問題と、機能の問題です。
―見た目については、形成外科を受診していただきます
―聞こえの検査をします。
―(こういうことに二回目があるという仕打ちがありえるという現実は到底理解できませんでしたが、ドクターオフィスにおいては、心を幽体離脱させて気丈に振る舞う経験が初めてではなかった、むしろ長けていましたし、夫のジャブのおかげで、この時には理解できていました)
本来なら分娩台で休む時間
はい、なるほど、そうしましたら、お姉ちゃんと同じ病院だとなにかと助かります。
はい、紹介状は県立小児医療センターでお願いします。
小耳症に強い病院については・・・はい、自分でも調べてみます。
分娩台で休む時間というのは、小耳症というものを調べる時間に変わったのである。
産んですぐに携帯を触れる(体力が残っている)なんて、無痛にして正解だったなぁ、とか、産後というのは何があるかわからないからといってレスパイト施設で待っていてくれているゆりちゃんは親孝行だなぁ、まわりもよくそんなことまで気をまわしてくれたもんだ、助かるなぁ、なんていう皮肉を思いつきながら小耳症の画像検索をしまくっていた。
アイカルディ症候群の仲間が、療育園の仲間が、ゆりちゃんの看護師さんやお医者さんが兄弟児の誕生をみんなが楽しみにしているのに、また障害があるなんて。
ゆりちゃんには元気な弟ができて、ゆりちゃんの刺激になる、ゆりちゃんがぐっとお姉さんになるとか、誰も思っていないよ、今私は新しい診断名を検索しているよ。
悲しい 私は、何も言えなかった
悲しいよ。私は、何も言えなかった。
これから兄弟をつくってあげたいと思っている障害児家族には何を言えばいい?希望を与えるつもりが失笑をかうかしら。
2人目にもこういうことがあった私の手をとって励ましてくれる人はこの世にいるのか。
障害のない子どもを産んでる友達たちへの障害の告白がうまくいって、いつも仲良くしてもらってきたが、もはや2人続けてこんなことになると気を遣わせる、もう遊べないかもしれない。
出産報告に水を差す出来事が産んだ瞬間に起きたなんて、不運が過ぎる。
私が何も知らずに過ごしていたのはほんの20分30分とかだっただろうか。
その本当の出産直後の時間に、(めっちゃ余裕で簡単に生まれた、あっはっはー、とか笑)ライン報告できた人には報告できてよかった。
情報が出そろったいま、更に連絡すべき人がいるものの、もはや筆は進まない。
ゆりちゃんの障害が分かったときは、かなり衝撃を受けて打ちのめされたものの、めらめらと燃えるものがあったように思う。がんばるぞ、と。
どうにか這い上がるぞと。この子のために何をしようと。
そして、夫を励まし、両親に説明をし、友人にも会わせて応援してくれる仲間を増やしながら、とにかく前を向いて進んできた。
しゅんくんのことがわかったときは、なんの力もわいてこなかった。
こんな悲しいシナリオ、だれもついてこれない
こんな悲しいシナリオ、だれもついてこれないよ。
耳の検査をしました。
小耳症の耳は、聞こえませんでした。その結果を受けたときのことです。
はじめてかもしれないです。人前であれほど泣き崩れてしまったのは。
私、ゆりちゃんのために一生懸命やってきたんです。次は元気な子供を産もうと、元気じゃないとだめなんです。
どうしたらいいんですか。聞こえないんですか。どうしよう。
看護師さんが自らのマスクを外しました
そうすると、看護師さんがマスクを外しました。
見て、と目を潤ませながら言いました。
私は、はっとしました。そういう子も見たことがあったから。
看護師さん:私、口唇口蓋裂なんです
と言って、マスクを外しました。
私はどんどん泣いていました。
看護師さん:手術、やめられないんです。何回も何回もしているんです。でも、結婚をして、夫ができて、子供ができて、お母さんになった。もういいやって、繰り返してきた手術をもうやめたんです。
っていいました。
泣いて泣いて涙が止まりませんでした。
看護師さん:手術してあげてもいいし。しなくてもいいし。大丈夫。大丈夫。技術がどんどん進むから。大丈夫。
私は、しゅんくんの耳が小さいとわかったとき、小耳のほうの耳は(ほとんど)聞こえないとわかったとき、この世で一番泣きました。
あんなに可愛そうな産婦はいなかったと思います。
聞こえのPASS/ FAILのテストで、FAILのほうをもらう人になってしまって、おいおい泣きました。
それで、そのときにマスクをはずして自分の経験を話してくれた看護師さんのことを一生忘れません。
看護師さんが、口唇口蓋裂の見た目が辛くて辛くて手術を繰り返してしまったけど、もう手術やめたんだ、って笑ってくれて、その笑顔がまぶしくて思い出すだけで泣きそうです。
お母さんになって、なにかが納得がいったみたいだったから、そうなれてよかったな、って、看護師さんが自分を好きになれて、よかったな、って、よかったな、って泣きました。
見た目、ってなんだろう
見た目、ってなんだろう、見た目と自己肯定感について、このときから、考えるようになりました。治療とは、美容とは・・・。
ゆりちゃんがあまりお世話になってこなかった、形成外科と耳鼻科が病院通いのルーチンに加わりました。
友達への告白も、うまくいきました。
友人たちの優しい言葉をたくさん受け取ることになり、友人たちの更なるすばらしい面をたくさん知ることになりました。
特に私のママメンターであるアイカルディ症候群の同じ県内のママさんには、感謝をしています。
新しい学びが続いていて、新しい出会いも
新しい学びが続いていて、新しい出会いも起こり続けています。
しゅんくん4歳の現在(2023年2月現在)、3月の音楽祭では、学年で2人しかなれないシンバル役になり、幼稚園の先生たちは、しゅんくんがシンバルだってー!!!と沸いているそうです、笑。
片耳難聴あるある、や、聞こえに関して私が好きな動画などまた追って書いていきたいと思います。
世界中の子供たちが一緒に笑ったら、の曲を熱心に練習しています。
いろいろな困難があるけど、自分の子供がそういった荒波に耐えられるように、build up!
人格を築いてあげよう!
ではでは。
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デフサポちゃんねる(#難聴 #聴覚障害 #夫婦ちゃんねる)