医療

続・気管切開の決断にいたるまでの苦悩と結論。

気管切開の決断にいたるまでの苦悩と結論。
シホっぴ
シホっぴ
今回は2023年4月に書いた「気管切開記事」の続編的な記事書きました。

前回の記事は↓こちら

湧き出ている気持ちに言葉を与えたい、伝えたい。

大変ご無沙汰しております。

次々に未完成記事を仕上げて投稿していくぞ、なんて言いながら(常に言っている気も)、パソコンを触る時間が作れず、子供たちのスケジュールに振り回されておりました。

それぞれイベントフルな年度末でして、“1月行く、2月逃げる、3月去る”なんて、言いますが、本当にそうでございました。

ゆっくりと落ち着いて年始を始められた気がしたのですが、2、3月が一瞬で過ぎ去ってしまいました。そして、気がついたら4月が終わりかけておりました。

“4月、新生活のリズム掴む”、でした。5月からこそは、ついに、自分の心の中にたくさん湧き出ている気持ちに言葉を与えたい、伝えたい、そう思っています。

シホっぴ
シホっぴ
現在、我が家は、“臨時的に”5人家族で楽しく暮らしております。

上智大学に通う留学生を春学期の間、預かることにしたのです。3月末からうちにきていて、8月まで一緒に過ごします。

文化が違う人と暮らすことで、相手を知る、また、自分が見える、そういったきっかけになります。

しゅんくんの卒園、それから小学校入学、ゆりちゃんの無事の進級、など、春らしいご報告については、インスタグラムのほうに更新してあります。

https://www.instagram.com/yuri_aicardi_strong

我が家に暮らし始めた、“えんちゃん”、今後ちらちらと出てくる予定ですので、楽しみにしていただけますと幸いです。

さて、以前の気管切開に関する投稿はいかがでしたか。

誰でもが毎日考えるようなトピックではないのは承知です。

でも、この世界には、気管切開するの、しないのって、唸りながら、魘されながら、一体どうすればいいんだって熟考、真剣に悩みぬいているご家族達がいるのは事実です。

今日も悩んでいる人がどこかにいる。

先日、(手術検討時期に)気管切開の記事を繰り返し読んだんだよ、と伝えてくれたお友達がいました。

書いていてよかったんだな、って、嬉しく思いました。

なんだか自分がちっぽけに感じてしまう日ってあるじゃないですか。

シホっぴ
シホっぴ
先輩ママから、“見えているよ、記事読んで 力貰ったんだよ”、の声をもらって、本当に嬉しくなるもんだなぁって思いました。

“ゆりちゃんの場合はね”、を共有できて、よかったな、って思っています。

難しい決断の意志決定プロセスを聞くこと、ストーリーを垣間見せてもらうこと、そういうことで私もいつも前になんとか進めてこられたから、誰かの大事な人生の決断の参考文献に“ゆっちゃん’sケース“がリファレンスされている、っていうのは、単純にありがたいな、って。

ゆりちゃんっていうのは、お話ができなくて移動ができないけど、私の言葉を使って私の身体を使って表現しているのかもって、そんな風に思えてくる。

そのゆりちゃんの声が私を through me 通して permeate 通じて、お友達のお母さんお父さんの目に触れる。

ゆりちゃんがお友達の背中を押してる。やっぱり私の言葉のようでゆりちゃんなんだろうなって。

重症心身障害児の気管切開については、考え方・答えが一つではない、という点、

また、当事者家族が本人に代わって決断をしなければいいけないという役割を負う点などが、とてもユニークだと思います。

以前の記事で触れていない部分

以前の記事で触れていない部分は、時間がない中で決断した人のことかなって思っています。

医療的ケアは、十分に考える時間が与えられる場合と、全く時間をかけることができないで決断を迫られる場合があると思います。

シホっぴ
シホっぴ
どのくらい時間をかけられる猶予があるのかっていうのもケースごとにちがう。

私は時間があったほうでした。初めて提案されてから決断に至るまでの1年2ヵ月の間、実に多くの方に相談させていただいています。

誰もが、その人が知っている知見を全て机の上に広げてくれました。そして、それぞれの人が知っていることには、違いがありました。

前回書ききれていなかったことにすこし触れて、時間のない中の決断をされた方へのリスペクトも込めて、書いています。

1年2ヵ月の悩み抜き期間中、例えば外科病棟に入院して、胃の逆流があるのかないのかの検査入院に行ったりしています。

むせ込んで肺炎になりやすい原因逆流であれば、胃の出入口を縛るという方法で、分泌物のコントロールができるかもしれないので、その線があるのかどうかを検討したかったからです。(逆流はありました)

耳鼻科の先生の見解。

また、耳鼻科の先生の見解を聞いたりもしています。

努力呼吸様になってしまう理由はアデノイド肥大からなのか、あるいは、その昔、気管軟化症と言われていた時期があるけれども今はどんなもんなのか、たびたび、扁桃腺が大きいね、なんて言われるけれど、そのあたりをどうにかすると気管切開をせずに済むのかもしれないのかどうか。

私が周りに相談したりしているせいで、既成事実化していっているというか、自らが手術をする方向に舵を切っている、そんな気がしている時期もありました。

シホっぴ
シホっぴ
本当はまだ先なのではないか、それを私が自ら早めようとしているのか、とも思ったりもしました。

しかし無知のせいで根拠のなく楽観視し過ぎて決断が遅くなり命を危険に晒してしまうのは嫌だ、と同時に思っていました。

外科医師がこう言いました。

『もう誰が見ても、必要のない手術をしてしまったね、とは言わない。今の状態を見るに、誰もが、この手術は必要な手術だったね、と言う。

体調不良時をより多く見ている二次救急(肺炎時搬送先)の先生方のほうが切迫感があった。すぐの手術を勧めたよね。

一方で、体調安定時に手術の適応可否の相談をうけている三次救急である小児医療センターの僕たちは、穏やかな友梨ちゃんを見ているから温度差があった(緊迫感が欠ける)。

でもね、もう誰もの目にも、この手術は必要な手術で、いまやるか、ほんの少し先にやるか、次の肺炎の時に緊急でやるか、そういう段階なんだよ。

今日までは無事だった。でもこの先、1年とか、そんなに時間の猶予はもうないね。一番体調のいい時にやろうね。』

じゃあ手術すると決めたとして、そうと決めたとして、命取りになるようなことがあったら、自分を赦せるのだろうか。

家族が決断しなくてはならないという重責に足元はぐらついた。何度も涙目になりながら考えてきた日々。

支援学校の1年時の担任の先生との会話。

支援学校の1年時の担任の先生との会話の一つ一つも思い出されます。

今も私の胸の中で大切にしています。呼吸が楽になることで、どんなふうにこれからの学習が変わっていくか、ゆりちゃんの成長面に関する前向きな面をたくさん教えてくれました。

現在似ている悩みを抱えている人がいたら、究極の選択に足がすくんでいる人がいたら、こういいたい。

I am you. I was there. 

私でなんの力になれないですけど、連絡くださいね。

やれともやるなとも言えないのです。だってやっぱりそれはyour choiceだから。

でも、1人で考えていても苦しいですから。勧められたけど、予約したけど、やっぱり本人の力をもうすこし信じたい。

シホっぴ
シホっぴ
キャンセルしちゃう。様子をみている。そう、それが私でした。その時間も大切な時間でした。

責められません。その時間をくれた頑張り屋さんのゆりちゃんには、待たせたね、苦しかったね、と言いたいです。

心の準備をするのに時間がかかっちゃったんだよ。

I love when I realize I’m handling a situation better than my old self would have. 

昔の自分よりも(今の私のほうが)上手に状況に対応できているな、と気が付くときがあるんですけど、そういうときって、すごい嬉しいです。

I was still numb from my child’s unexpected diagnosis when a small voice inside me wondered what we were going to do, then my mama bear voice answered back loud and clear “whatever it takes.” 

いまだにあの予期せぬ診断をうけたときの衝撃を忘れません。心の声が、小さい声で、一体どうしたらいいんだと頭の中で囁きました。

お母さん熊の自分が現れました。大きな声ではっきりと言い返しました。やることやるだけでしょ。どんな手段でも必要なことを子供のためにやってあげるのみだよね。

手術を決意したときの自分は、whatever it takes! と大きい声で言いました。すこしだけ投げやりに言いました。

だって、本当に、とってもこわかったのですから。合っているのかわからないのですから。後悔しないともかぎらないのですから。100%確信なんてできなかったのですから。

シホっぴ
シホっぴ
というわけで、手術は大成功。石丸先生ありがとうございました。

時が流れ。

時が流れ、ゆりちゃんはすこしだけデバイスを頼りながら生きる道を選択して今日にいたっています。

到底、無理だろう、きっとケアは忙しくなりすぎるんだろう、と思っていた(吸引機まわりの清潔ケアの基準が上がるのが大きな不安だった)変更点は、それなりにすんなりと受け入れられました。

しばらく、喉に穴が開いていてすぐそこに赤赤とした臓器につながっている“新しい道”が目に入っては涙ぐんでしまい、緊張感が取れない日々を過ごしましたが、不思議ですがちゃんと慣れるんですね。

慣れるスピード感が自分が思っていたより時間がかかっているんだけど、それでもちゃんと慣れたんです。

すっかり慣れた今となっては、エアウェイも酸素も吸入器もカフアシストも使わなくなった今の生活の方が簡単になりました。

じゃあ、体調が毎日万全で一つの曇りもないかって?そんなでもないです。

シホっぴ
シホっぴ
たびたび体調を崩すゆりちゃんです。体調は崩れます。いろいろな難しさのある子なので。

例えば、1月も2月も3月も、少々体調低迷した日だってあった。

それでも、以前の生活、つまり、それは、気道が閉塞する音を午睡時・毎晩聞いてはエアウェイを抜き洗って再挿入する生活、そう、それと比較すると、本当に安心して生活しています。

以前の状態(日ベースの頻回な努力呼吸様を見る生活)に戻りたいとは全く思いません(夫同意見、ハッキリ言いきっています)。

ただ、たとえば、気道から血が少量引けた日があったのですが、そんな日はものすごく焦り、各所に相談の電話をとります。落ち込みます。

気の緩みから、カニューレを入れていい長さよりも長めに入れてしてしまったのか、本人のせき込みが激しかったのか、深く吸引をしすぎたのだろうか、肉芽が出来たのだろうか、その肉芽が気道を塞ぐのではないか…顔面蒼白になって、気管切開外来の耳鼻科の予約を前倒しして変更し気道内スコープをしたことがあります。

It’s okay if you thought you were over it, but it hits you all over again. It’s okay to fall apart even if you thought you had it under control. You’re not weak. Healing is messy. And there’s no timeline for healing. 

もう乗り越えたって思ってたのに、まだ実はダメで、再び心労。それも大丈夫。

制御できてる、コントロールできてる、って思っていたのに、また粉々に砕け散ってしまっても、それも大丈夫。弱いんじゃないよ。

乗り越えること・ヒーリング、っていうのは、とても複雑なプロセスなんだ。正しい道筋・タイムラインなんてないんだ。

もう一度ゆりちゃんの声を聞きたいな、って思うこともあるけれど、そこまででもないかな。しょうがないかな。

穏やかそうで、楽そうで、気管切開のところから息が漏れる音もとっても可愛いんです。しゃっくりもするしね。定期的な空気の漏れるリズム。これがたまらなく可愛い。

シホっぴ
シホっぴ
声が聞けないのは、許せないからできないって?うん、ちょっとはさみしいけどね。

一緒にいられなくなるんじゃないかって心配?うん、こわいよね。手術室の部屋の外で待つあの数時間は慣れないよ。

本当にこわくて、こわくて震えていた自分のことは忘れません。

でも、手術経て、一緒に、いま、ここにいます。

ゆりちゃん、毎日学校に行ってます。6月の運動会の練習しています。

大好きな歌を邦楽・洋楽2曲ずつ選びました。

どうぞ^^

山崎まさよし Once more time, one more chance 

宇多田ヒカル First Love

Love is a Verb

Drops of Jupiter

ではでは。

気管切開に関して、よくまとまっている記事

NHK:人工呼吸器 どんな種類がある?どんなときに使う?
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_1564.html